岩崎弥之助
NHK大河ドラマで、岩倉具視・岩崎弥太郎・五代友厚が相次いで亡くなりました。五代友厚は、明治18年9月に、療養中の東京で亡くなっています。 死因は糖尿病とされ、まだ49歳の若さでした。 亡くなる前年には大阪商船 (現在の商船三井)の開業、大阪堺鉄道(現在の南海鉄道)の設立に貢献するなど精力的に活動していました。 三菱財閥の2代目は弥太郎の弟・弥之助です。明治6年に三菱商会の副社長に就任し,後藤象二郎の長女の早苗と結婚し,兄を助けて三菱の近代化を進めました。兄の死後の19年に三菱社と改称して社長に就任し,「海から陸へ」の戦略を実行し,まず20年に長崎造船所の払い下げを受けて近代的造船所に育成し,北九州と北海道の炭坑11カ所,佐渡と生野を含む鉱山6カ所を買収した。また第百十九国立銀行を買収し,三菱製紙,小岩井農場,麒麟麦酒を創設しました。そして児島湾干拓事業にも進出しました。22年に東京・丸の内の陸軍用地の原野13.5万坪を150万円で,献金のつもりで買い取り, ,やがて丸の内には大ビルが多数建設され,三菱財閥の本拠地になりました。20年代には山陽鉄道,九州鉄道,筑豊興業鉄道,北越鉄道,岩越鉄道などに出資し,鉄道の近代化に貢献しました。