ヤルタ会談の秘密協定
生島ヒロシの番組で、月尾先生に聞いた話です。第二次大戦中、国家元首の病気の下で、大きな秘密協定が結ばれました。1945年2月8日にアメリカのルーズベルト大統領、ソ連のスターリン書記長で秘密会談を行い、その後イギリスのチャーチル首相との間で交わされた秘密協定が、この極東密約です。 その時、・ルーズベルト大統領 63歳 心筋梗塞・脳動脈硬化症・高血圧症で車いす生活。軍艦で米国からクリミアまで来ました。数か月後に死亡しています。・チャーチル首相 71歳 2年前に肺炎に・スターリン書記長 67歳 クリミア半島で会談を開催 1944年12月14日にスターリンはアメリカのW・アヴェレル・ハリマン駐ソ連大使に対して、満州国の権益(南満州鉄道や港湾)、樺太(サハリン)南部や千島列島の領有を要求しており、ルーズベルトは太平洋戦争の日本の降伏にソ連の協力が欠かせないため、1945年2月8日にこれらの要求に応じる形で、日ソ中立条約の一方的破棄、すなわちソ連対日参戦を促しました。そしてドイツ降伏後2か月または3か月を経て、ソ連が対日参戦することが取り決められました。 なるほど、なぜソ連が日ソ中立条約を一方的破棄したのか?よくわかりました。