「未来」
ふるさとひょうご創生塾10周年記念交流会http://www.hyogo-intercampus.ne.jp/gakusyu/jigyou/sousei.htm061217 県民会館 303号 18:00~20.00 ************ 木下大サ-カス 来姫http://www.kinoshita-circus.co.jp/****061216 ニュ-ポ-ト国際大学西日本校研修会・忘年会http://www6.ocn.ne.jp/~newport/同じ字を 雨 ・ 雨 ・ 雨と 雨で読み ( ) ( ) ( ) ( )書いてみてくださいね。***「未来」未来が予測できるのなら、株をやればよい。そうして、その将来の予測は何を参考にするかというと、チャートやPER計算や起こった事件の新聞記事や報道などの過去の歴史を参考にしたりする。これって少し錯覚なのかもしれない。明日の株価を予測するのなら、株価が本当に会社の今日の業績を反映しているのなら、過去の値動きや発表後の前期の数字をいくら見たところで、それは「今日と明日の現在の現実」とはかけ離れている。今日と明日の株価と、会社の今日の現実は乖離がある。理論で行けば現実の数字や情報はインサイダー取引になり、摩訶不思議な事に、株価は「希望的観測」の大きく含まれる数字である。現在もダンナの卒業したビジネススクールの配信する講義をネット配信で聞くけれど、結局こういう理論に抜けているのは、「人間のエゴ」のような部分。組織を引っ張る役目の暇な時間の無いはずの人間が、ビジネス云々以前に、このおっさんとこのおっさんが仲が悪くて、とか、このおっさんが欲ボケで酒と女と株に手を出して、とかこのおっさんが成功に胡坐をかいたボス猿で、という親切な判り易い説明は学者の発表する講義やケーススタディの中に、一切無い。世間でのニュースもそういった言葉からのアプローチは無い。職場は「仕事の場」であるけれど、人間は結構つまらないものに焦点を奪われておかしな方向にも向かう。そうしてそれが「仕事の一部」だったり「仕事の全て」になったりする。偉い人の常識には「仕事には関係のない事」かもしれないが、偉くない下々の流されやすい人間には、非常識であったり不愉快であったりやる気も喪失したりと、波及効果は偉い人の想像以上である。ダンナからは「お前に何がわかるか」とよく言われるけれど、本当にその通りなのだ。人間社会はわかり合おう、ではなくて、解かり合っていない、決め付けあいながら錯覚で成り立っている。以前に「歌舞伎の世界に経済学は関係ないが」という文章を目にした時、ええー!であった。「風が吹けば桶屋が儲かる」という高度な経済概念が普及していた日本で、関係のない問題がないのは江戸時代の庶民でも御存知だったのだ。「エライ子供」や「エライ大人」が年寄り臭さを馬鹿にするから短期脳発想の血気盛んな思想が常識となって若い社会に蔓延するのだろうか。歌舞伎の舞台の批評をするのは梨園の人間ではない。経済学者は商売人ではない。自分の考える自分と他人の決め付ける自分が違うように違う世界の外から冷静に見た景色と、内側から見えている景色は違う。そうして、同じ一つの舞台を見ているけれど、観客の数だけ「違う舞台」がある。見る側の人がどう見るかで一つの舞台は違うものになる。そうして、批評家の言葉にも人は惑わされる。文章や言葉や情報に多く触れる、信じる、ということは惑わされる、流される、そういう事とも同じ。定年までの安泰を指折り数える先輩の姿は、若さと体力がある間に、自分の事として考える。自分も体力が衰え同じ時代が来る事を教えてくれる貴重な先輩の姿である。団魂のうんざりするほど子供時代から競争させられた人達が、最期まで残った幸運な一握りの方々も、最期には食い逃げ呼ばわりは、すごく判る気もするけれど少し切ない。自分に置き換えて考えるクセの無い旬の若いエライ人には自分の辿る道が見えているのだろうか。日本にあった「死ぬまで修行」という常識と欧米風のプロ意識で自分が出来上がったように錯覚するのと、定年までの過ごし方に差は出る。トップダウンでトップがスピードと供に引っ張っていくのも、確かに一つの成功への形だけれど、アメリカの政治、イラクの現状を見ても、必ず勝利には結びつかない。トップがナポレオンのように天才であっても勝者側に属して盲信している人は良いけれど周りはエエ加減にして欲しくも島にでも篭って欲しくもなる。仕事をする仕事の場で心が病むのが先ずは可笑しい話なのだが、人間はそうなってしまう。だからこそ学者の理論を注目した方が良い。矛盾するけれど、メンタル部分や義理人情に焦点を奪われると肝心のビジネスから遠くなって自分が義理人情に病んでいく。私の様な人間には、病まない方が不思議な、病んでしまうのが普通だよ、と思える現実社会である。「偉い人」の影響は、偉い人が考える以上に社会や組織には大きい。類は友を呼ぶか、類が類を創る。マナー、ルール、それは見習いたい人のを見習い見習いたくない部分は反面教師というあり難い教えなので感謝だけをする。日本は政治もビジネスもアメリカばかりを見ているけれど、アメリカを前向き一途なアメリカ人が自画自賛するようにカッコ良く思い込みすぎで、アメリカは決して悪くは無いけれどアメリカは「絶対の正解」でもない。日本の組織にうんざりしている人、アメリカに飛び出したい人、日本の良さを冷静に探して確認してから、欧米の社会を冷静に比較や検討をして欲しい。「玉砕」勢力との終戦工作を政府の中枢が必死になって「国内で政争している」先の大戦の終戦直前、終戦のの数日前から平和株の銘柄が早くも動き出している。庶民の勘か、人間の必然の欲望か、株価は結局、人間の希望的欲望も含まれており、不思議と未来を先導する指標でもある。神頼みか人間頼み、博打はばくち打ちに任せるに限る。人間の創る未来は人間と同じように不思議なものだ。華乃智家hananochika@hotmail.com