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カテゴリ:家族
今日は彼岸の入り。
そして今日は私の母の命日。 1999年の今日、くも膜下出血で亡くなった。 72歳だった。 9/7の朝、留守電に父からメッセージが入っていた。 早朝だったから電話が鳴れば気づくだろうに、不思議なんだけど、電話のベルに気づかなかったのだ。 今にも泣き出してしまいそうな父の声。 『お母さんが危篤だ』 そんなまさか!と思い、何度も聞き直してみたけれど、やっぱりそう聞こえる。 父の携帯に電話をかけたけれど、マナーにしていたのか電源を切っていたのか、出やしない。 焦りつつ、ちょっとの荷物を準備して、長男の幼稚園に休む連絡をし、ダンナに休みを取ってもらい、車で実家近くの病院に向かった。 何の変哲も無い平日なのに、なぜか渋滞。 気持ちばかり焦ってた。 2時間もあれば着くはずなのに、倍近くの時間がかかった。 病室はナースセンター横の個室だった。 母は延命措置を施されて、ベッドの上で全身痙攣をおこしていた。 痛みのせいで痙攣していると看護婦さんに聞いた。 怖かった。 その年の夏休みに入ってすぐ、母が家に遊びに来た。 長男4歳(年中)、次男3歳、3男は1歳になったばかり。 遊びに来た時に3男が初めて歩いた。 みんなで大喜びした。 ダンナが出張で居なかったせいか、久しぶりに親子で会話を楽しんだ。 『長男が小学校に入る時にはランドセル買ってあげるね~』とか、『子供達がもっと大きくなったら一緒に温泉に行こうね~』とか、ホントにフツーの親子の会話。 そんな会話をしながらもなぜか『お墓はもう用意してあるから心配いらないよ』みたいなコトを言う。 『ポックリ逝きたいわ~』なんてコトも言う。 ナニ言ってんのよ、長生きしてよ~と言いながらも母が小さくなったなと実感した。 それから2ヶ月もしないうちに、母は倒れた。 ダンナの母にこちらに来てもらって、子供達の面倒を見てもらい、私は、父と親戚のおばさんと交代で、病室に泊まった。 日に日に痙攣が治まって行く。 容態が安定して来たように思えたけれど、実際はそうじゃなくアチコチ麻痺(壊死?)して来ていただけだったのだ。 聴覚は最後まで残る感覚なのよ、と看護婦さんに聞いて、話しかけてみたりもしていた。 足の裏をくすぐると反応することもあると聞いて、くすぐってみたりもした。 手を握ったら握り返してくれるかもしれないと思って、握ったりもしてみた。 看護婦さんと一緒に体を拭いてあげたりもした。 髪の毛も梳かしてあげた。 あとはず~っと顔を眺めていた。 でもスー・スー・・・と人工呼吸器の音だけが聞こえる毎日。 そんな状態が2週間続いたけれど、母は戻って来なかった。 父と私と近所に住む親戚に看取られた最期。 呆気無かった。 あれからもう8年。 子供達の記憶の中からじょじょに東京ばぁばの記憶が小さくなっている。 寂しいけれど、仕方がない。 我が家には仏壇は無い。 お彼岸になると写真を出してお花を供えてお線香をあげる。 今日はそれができなかった。 明日はお花を買って手を合わせよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.09.20 22:55:27
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