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─ 灼熱 ─

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2004年08月06日
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スタンダード石油は名前の通り石油業者であり、これだけではロックフェラー一族の資産は形成されなかった。もうひとつの重要な機能は、ナショナル・シティー銀行とチェース・マンハッタン銀行を通称スタンダード・バンクとする金融事業にあった。

ジョン・Dが20代半ばにして世界一の精油業者になり、39歳で国内の5大富豪に数えられるには、よほどの理由がなければならなかった。ニューヨークで弟ウィリアムが、ケロシンなど石油副産物の輸出をスタートしてから、1870年にスタンダード石油を創立し、ウィリアムの長男ウィリアムと次男パーシーがそれぞれ1896年と1901年に、ニューヨークのナショナル・シティ銀行頭取ジェームズ・スティルマンの娘エルシーとイザベルに結ばれ、石油資本と金融資本が結婚した。これが1990年代後半に、日本の庶民の銀行預金を収集してきたシティバンクの前身である。

1812年に創業したシティー銀行は、65年にナショナル・シティー銀行と改名して、ウィリアム・ロックフェラーが投資を続け、頭取スティルマンのもとで93年にニューヨークでトップにたち、スタンダード・バンクと呼ばれた。1909年にはモルガン商会が大株主となって、12年にJ・P・モルガンJr(通称ジャック)が取締役となった。

これに対して、1863年に創業したファースト・ナショナル銀行ニューヨークで1912年まで頭取と会長をつとめたジョージ・F・ベーカーは、ウォール街のスフィンクスと呼ばれ、モルガン商会の鉄道利権について完全に沈黙を保ったが、チェース・ナショナル銀行の5万株を購入し、モルガンとスティルマンの親友だった。彼の孫娘イーデスは、ロスチャイルド一族のウォール大バンカーであるジェイコブ・ヘンリー・シフの孫と結婚し、この銀行の大株主で重役だったのが、ヴァンダービルト一族のペイン・ホイットニーという顔ぶれであった。

かくして1955年に、前記のナショナル・シティー銀行と合併してファースト・ナショナル・シティー銀行ニューヨークとなり、76年に改名して現在のシティバンクが誕生し、表記も City Bank から Citibank となった。この歴史を見れば、世界の3大財閥であるロスチャイルド、ロックフェラー、モルガンが合体した金融機関である。

ここが98年に日本人の預金を吸収して名をあげ、親会社シティコープが金融サービス会社トラヴェラーズ・グループと合併し、資産7000億ドル、ほぼ100兆円という世界最大の金融機関が誕生することになった。トラヴェラーズが日本の4大証券のひとつ日興證券を買収し、99年4月22日に日本で発足した新組織の全国銀行協会にシティバンクが正会員として加盟したのである。

これに対してチェース・マンハッタン銀行は、母体が1799年創業のマンハッタン銀行にある。これにほぼ一世紀後れてスタートしたチェース・ナショナル銀行は、1930年代から50年代まで頭取と会長をつとめたウィンスロップ・W・オルドリッチが、ジョン・D・ロックフェラーJrの義弟という姻戚関係を持ったため、ロックフェラー財閥の金融機関となり、これが55年にマンハッタン銀行と合併し、チェース・マンハッタン銀行となったのである。

1909年に所得税を導入するかどうかで議会が白熱の議論を展開しながら、法案は下院を通過しなかった。所得税導入に強く反対したのが、ロードアイランド州の上院議員で百万長者のネルソン・W・オルドリッチ、つまりチェース・ナショナル銀行頭取ウィンスロップの父親であり、反対の理由は、彼の娘ムコがジョン・D・ロックフェラーJrだったからである。

61年から81年までチェースの頭取と会長をつとめ、20世紀末まで最高顧問をつとめてきたのが初代ジョン・Dの孫デヴィッド・ロックフェラーである。91年7月にケミカル銀行がマニュファクチャラーズ・ハノーヴァー・トラストを吸収合併すると、今度は95年8月にケミカル銀行ごと吸収合併したチェースは、新会長と最高経営責任者(CEO)にウォルター・シプリーを据えることになった。

この人物は、レーガン政権時代に日本の円高とバブル経済の要因をつくった85年9月のプラザ合意を取り仕切ったジェームズ・ベーカー財務長官と密接な関係を持っていた。実に込み入った関係なので、要領よく説明するのはむずかしい。まず、イギリスから全世界に向けて活動してきた投資銀行界の老舗ブラウン・シプリー社が、アメリカのメリル・リンチと合体して、メリル・リンチ・インターナショナルとなり、これによってメリル・リンチが国際的な投資に大きく進出する力をつけた。そのブラウン・シプリー創業者の子孫L・パークス・シプリーの三男が、90年代に3大銀行を合併してチェースの最高実力者(会長兼CEO)に就任したウォルター・シプリーである。

このブラウン・シプリー社のアメリカ支店がヴァンダービルト~ホイットニー財閥と二重の姻戚関係を持つ鉄道王ハリマン家の投資銀行と合体して、姉妹会社のブラウン兄弟ハリマン社が誕生し、その重役プレスコット・ブッシュの息子ジョージ・ブッシュが、ネルソン・ロックフェラー副大統領のもとでCIA長官、続いてレーガン政権の副大統領、さらに89年には大統領に就任した。同時にメリル・リンチ会長のドナルド・リーガンが、レーガン政権の財務長官になるというトライアングルが形成されたのである。

この壮大なコネクション形成について、答を握っている者がいた。レーガン政権の人事を決定したジェームズ・ベーカー本人が、ブラウン・シプリー創業者、アレグザンダー・ブラウンの一族であったのだ。

ベーカーの後任としてブレイディーを財務長官に送り込んだディロン・リード創業者の息子C・ダグラス・ディロンは、民主党のケネディー~ジョンソン政権の財務長官としてベトナム戦争の泥沼時代を演出し、のちロックフェラー財団の理事長に就任した。

この世界には、民主党も共和党も存在しない。大統領選挙は、候補者が最低数千万ドル、日本円で数十億円をかき集めなければならないので、政策で富豪の了解をとりつけてから両党の対立が演出され、国民が総動員されるアメリカの大パーティーなのである。

ケネディーの前の共和党アイゼンハワー政権時代をほとんど動かしたジョン・フォスター・ダレス国務長官もまた、ロックフェラー財団の理事長であり、当時の大統領補佐官L・シャーマン・アダムズはネルソン・ロックフェラーの選挙参謀であった。ニクソン時代をほとんど動かし、20世紀末までロビー活動に飛び回っていたヘンリー・キッシンジャーが、チェース・マンハッタン銀行顧問会議の議長で、ロックフェラー兄弟基金のプロジェクト・リーダーをつとめ、個人生活では、デヴィッド・ロックフェラーの秘書ナンシー・マギネスと結婚したという事実まである。

アメリカには、財閥党というひとつの政党しか存在し得ないメカニズムがある。それは選挙に必要な巨額の資金問題であり、すでにこの事実は数多のアメリカ人ジャーナリストによって指摘されてきた。その資金を細部まで見てゆくと、金融機関と産業と遺産相続人のコネクションによって決定されることが判明する。


以上は、「アメリカの経済支配者たち」広瀬隆(著)からです。






最終更新日  2004年08月18日 17時44分49秒
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