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2004年08月31日
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連邦準備制度理事会は国民に対して責任を負うことはない。なぜなら、彼らは大統領に任命される公僕ではあるが、給料は連邦準備銀行の民間株主が支払っているからである。
(ユースタス・マリンズ)


連邦準備制度(FRB)については、8月16日と19日の日記でも書いたので、そちらの方も参考にしてください。
本日は、FRBについていろいろな人が過去に語った言葉を載せます。


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1921年に連邦準備制度理事会のハーディング理事が語った言葉。

「連邦準備銀行は株主のメンバー銀行によって所有されている機関です。政府は1ドル相当の株式ももっていません」

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1960年の下院銀行通貨委員会の委員長であったライト・パットマンは、次のように説明している。

「1ドルは連邦準備制度に対する1ドルの負債をあらわしている。連邦準備銀行は無から通貨を創造し、合衆国財務省から政府債券を購入する。利子の付いた流通資金を合衆国財務省に貸し出し、合衆国財務省に対する小切手貸付と帳簿に記帳するのである。財務省は10億ドルの利付債の記帳を行なう。連邦準備銀行は財務省に対して債券の代価の10億ドル分の信用を与える。こうして10億ドルの債務を無から創造するのだが、それに対してアメリカ国民は利息を支払う義務を負うことになるのである」(「お金の事実」下院銀行通貨金融委員会、1964年、9ページ)

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トーマス・ジェファーソン

「民間の中央銀行が公的通貨を発行することは国民の自由に対して常備軍以上の脅威となる」

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エリーシャ・エリー・ギャリソン大佐

「オールドリッチ計画がそうした全国的な恨みと反対を喚起したのちに、連邦準備法をまとめた人物はポール・ウォーバーグである。これら二つの計画の黒幕はロンドンのアルフレッド・ロスチャイルド男爵であった」(「ルーズヴェルト、ウィルソンそして連邦準備法」1931年)

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ウッドロー・ウィルソン

「われわれの信用制度は(連邦準備制度に)集中されている。それゆえに、国家の成長およびわれわれのすべての活動は数人の掌中にある」

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チャールズ・リンドバーグ下院議員

「連邦諮問評議会は連邦準備制度理事会に大きな影響力をもっていた。連邦諮問評議会に著しく影響を及ぼした人物はJ・P・モルガンである。彼は、J・P・モルガン商会の指導者であり、故J・P・モルガンの息子である。よく知られているように、諮問評議会の12人のメンバーの各々は同じ環境のなかで教育を受けていた。連邦準備法は、特権的な法律であるばかりでなく、特権的な人物が管理のために配置され、運営の諮問委員となったのである。連邦準備制度理事会とその頂点にある権力としての連邦諮問評議会が連邦準備制度を運営しており、下級職員のだれかが、仮に望んだとしても、あえて彼らと一戦を交えることはできなかったであろう」(1917年)

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ルイス・マクファデン議員

「商品価格が1913年の水準にまで引き下げられている。400万の失業者をともなう過剰労働力のために賃金が引き下げられている。モルガンの連邦準備制度の支配権は、ワシントンの連邦準備制度理事会の代表者と黙従者であるニューヨーク連邦準備銀行のコントロールを通じて行使されている」(1930年7月4日付けのニューヨーク・タイムス紙)

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1932年6月、下院銀行通貨委員会のマクファデン委員長(上のルイスと同一人物)は、下院議会で次のように演説した。

「連邦準備銀行が合衆国の政府機関であると思っている人がいる。これらは、政府機関ではない。これらは、みずからの利益と外国の顧客の利益のために、合衆国の国民を食い物にする私的信用独占企業体である。連邦準備銀行は外国の中央銀行の代理人である。『これら金融業者たちの目的は、消滅不可能な債務の創造による世界支配である』とヘンリー・フォードは語ってきた。真実は、連邦準備制度理事会と連邦準備銀行を操作する傲慢な信用独占によって連邦準備制度理事会が合衆国政府を強奪してしまった、ということである」

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ロバート・L・オーウェン上院議員

「私は、1913年6月26日に上院に提出した法案に、連邦準備制度の機能は安定した物価水準を助長するために利用されるべきである、という規定を書き入れた。それは安定した購買力と債務支払い能力を意味していた。しかし私は打ちのめされた。強力な金融財閥がポール・ウォーバーグ氏、アルバート・シュトラウス氏およびアドルフ・C・ミラー氏を通じて連邦準備制度をコントロールし、1920年5月18日のあの秘密会議をもつことを可能とし、信用の収縮を非常に手荒い手段でひき起こし、500万人を失業に追いやったのである。
1920年に連邦準備制度理事会は1921年の恐慌を用心深くひき起こした。株式市場に拘束されずに、1926年から29年までのあいだに信用をすこぶる過度に拡張したその同じ連中が、配当収入など考慮の対象とならないほどの途方もない水準にまで株価を引き上げ、そして人びとがそれに気づいて、そこから抜けだそうとしたときに、1929年10月24日の大暴落という結末を迎えたのである」(1939年の下院銀行通貨委員会での証言)

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ミルトン・フリードマン

「連邦準備の主要な機能は、通貨供給を決定することである。連邦準備には通貨供給をどのような希望的水準にでも増減させうる権限がある」(1983年5月2日号のニューズウィーク紙)

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さて、ここからは、現在の連邦準備制度理事会(FRB)議長であるアラン・グリーンスパンの前の議長である、ポール・アドルフ・ヴォルカーについての話題にしたいと思います。

ヴォルカーは79年にFRB議長に就任しました。ヴォルカーをFRBの議長に指名したのはカーター大統領でした。
83年にはレーガン大統領も任期切れの前にヴォルカーをFRB議長に再任しました。


「チェースの会長デイヴィッド・ロックフェラーとローザ氏は、カーター氏がヴォルカー氏を連邦準備制度理事会の議長職に指名するさいに強力な影響力をもっていた」


これは、79年7月26日付けのニューヨーク・タイムス紙が報じた記事である。
この記事は正しい。これに付け加えるなら、カーターを大統領に選出したのも、デイヴィッド・ロックフェラーである、ということだろう。(チェースは、現在のJPモルガン・チェース)
それと、この記事に登場する「ローザ」とは、ロバート・ローザのことであり、彼はブラウン・ブラザーズ・ハリマン、日米欧三極委員会、外交問題評議会(CFR)、ビルダーバーグ、王立国際問題研究所(RIIA)を代表する人物である。さらにロックフェラー財団の評議員でもある。


以下は、園田義明(著)「最新アメリカの政治地図」からです。



● ポール・アドルフ・ボルカー元FRB議長

米国金融界を代表する大物にポール・アドルフ・ボルカーがいる。彼は1927年9月5日、ニュージャージーに生まれた。プリンストン大学を卒業、ハーバード大学で政治経済学修士号を取得、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスも含めた3つの大学から名誉学位を受けている。

ニューヨーク連邦準備銀行のエコノミスト、チェース・マンハッタン銀行のエコノミスト、財務省通貨担当次官、チェース・マンハッタン銀行副社長、財務次官、ニューヨーク連邦準備銀行総裁を経て、79年にFRB議長に就任する。グリーンスパン議長にバトンタッチする87年までFRB議長を務め、その後、現世界銀行総裁ジェイムズ・ウォルフェンソンに代わってウォルフェンソン商会の会長に就任、社外取締役としてネスレ、アメリカ証券取引所、UAL、そして新生銀行のシニア・アドバイザーを歴任してきた。

71年のニクソンショックの際は、財務次官として世界中を飛び回り、79年からの第二次オイル・ショックでは、FRB議長の立場でインフレに積極果敢に立ち向かいドルの防衛を果たす。そして、85年9月22日、ニューヨークのプラザホテルで行われた日・米・英・仏・西独5ヶ国による蔵相・中央銀行総裁会議(G5)に出席し、ドル安基調へと誘導する「プラザ合意」をまとめあげた。

つまりボルカーは1ドル360円時代からプラザ合意の翌々年まで、財務次官として、そしてFRB議長として、対米追従の国際協調一辺倒の日本当局者による援護も受けながら、ドルと円を自由自在に動かしていたのである。

ニクソンショックから2週間の間に日本の大蔵省が日銀を通じて買い支えたドルは40億ドルにのぼった。円高恐怖症に取りつかれた日本政府の円高不況防止のための積極財政と金融緩和は、石油ショックと相まって「狂乱物価」を招くことになる。円高は、プラザ合意を引き金に、86年に入って原油価格急騰で弾みがつき、87年2月のG7によるルーブル合意、同年10月19日ブラックマンデーによる株式市場の一時暴落を経て、120円突破寸前まで進行する。そして、財政政策の発動が遅れ、金融緩和に比重がかかったこともあってバブルは勢いを増して膨らんでいくことになる。

プラザ合意は、中間選挙を目前に控え、ジェームズ・ベーカー財務長官(当時)が産業界の支持を得るために打ち出した背景もあった。


● 国際金融マフィア

G5の存在は以前は秘密主義に徹していた。プラザ合意では、効果を高めるために、米マルフォード財務次官補の発案で初めて声明を出した。日本のメディア各社はG5を「国際金融マフィア」と名付けた。この時の主要メンバーは次の通りである。

○ 米国
ベーカー財務長官、ボルカーFRB議長、ダーマン財務副長官、マルフォード財務次官補

○ 日本
竹下登蔵相、澄田智日銀総裁、大場智満大蔵相財務官、近藤健彦副財務官

○ 西ドイツ
シュトルテンベルグ蔵相、ペール・ドイツ連邦銀行総裁、ティートマイヤー大蔵次官

○ 英国
ローソン蔵相、リーペンバートン・イングランド銀行総裁、リトラー大蔵次官

○ フランス
ベレゴボワ蔵相、カンドシュ・フランス中央銀行総裁、ルベック国庫局長


ボルカーもかつてはロックフェラー銀行と呼ばれたチェース・マンハッタン銀行出身であり、チェース・マンハッタン銀行会長を務めたデビッド・ロックフェラーが設立したトライラテラル・コミッション(三極委員会=旧日米欧委員会)の北米名誉議長を務めるなど、ロックフェラー家と極めて近い関係にある。

ボルカーは、02年2月にエンロン・スキャンダルで責任を問われた米名門会計事務所アンダーセンが業務改革案作成を依頼するなど、金融以外に会計分野にも影響力を拡大している。2000年には国際会計基準審議会(IASB)で財政と人事権を握る評議委員会の委員長に就任、米国が狙う新たな会計基準を国際標準にするためのボルカー起用との憶測が飛び交っている。つまり国際金融マフィアの頂点に立つ人間が国際会計マフィアを牛耳る構図になっているのである。








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最終更新日  2004年09月06日 02時13分27秒
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