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─ 灼熱 ─

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2005年07月29日
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昨日も少し触れたことだが、イングランド銀行が確立されたことは現在の我々にも大きな影響を与えている。そこでもう少し、このイングランド銀行を検証したい。

イングランド銀行の設立が1694年であり、このイングランド銀行が近代的中央銀行制度の模範になっていると言えることから、イングランド銀行が設立されたことの意味やその背景を考えることで何かが見えてくるかもしれないと思っている。

現在の日本を支配しているのは米国であるが、日本が米国に支配される前の日本の支配者は英国だったと思っている。政治的支配力も重要だが経済的支配力もわれわれの生活を大きく左右する。

日本の中央銀行は日銀券を発行する「日本銀行」であり、日本銀行の設立は明治である。この時代の支配者は英国であり、明治維新そのものが英国による“演出”であった。戦後になって米国が日本を支配するようになると、戦後直後の日銀総裁が就任に占領軍の承認を得ていたことからも見えるように、日本銀行は米国の意思を強く反映する機関になった。しかしこれは、支配者が英国から米国に代わったように見えるが本当は同じ“勢力”だと思っている。ロンドンからニューヨークに活動拠点を移した“国際金融グループ”が日本を含む「先進国」の経済をコントロールしているからである。

この「国際金融家」の経済的権力掌握が明確に確立されたのがイングランド銀行の設立にあったとしたら、米国の連邦準備制度(FRB)を「私有」し、さらには各国の中央銀行を「管理」するスイス・バーゼルの国際決済銀行(BIS)を「私有」することも、イングランド銀行を「私有」した同じ「国際金融家グループ」であると理解できるだろうと考える。同時に、世界銀行もIMFも「国際機関」の仮面をかぶった“私有機関”であると判断できるはずである。


まず、イングランド銀行設立の時代の統治者に注目することが重要だろう。イングランド銀行に独占的な発券権利=通貨発行権を与えた統治者(国王)とそれ以後の統治者(国王)ということになる。

女王エリザベス1世(テューダー家)が亡くなるとスコットランドからジェームズ6世がやってきてジェームズ1世として君臨した。スコットランドの王朝はスチュアート朝だったことから、この1603年がイングランドでのスチュアート朝の始まりである。ジェームズの子であるチャールズが1625年から国王になると、不満の蓄積が爆発したからか革命(清教徒)が起こり処刑されてしまう。その後、王政復古によりチャールズの息子であるチャールズ2世が1660年に亡命先(フランス)から帰国し国王となり、1685年に亡くなると、チャールズ2世の弟であるヨークがジェームズ2世として王位を継いだ。ジェームズは前国王と同じように親仏派だったと言われている。

このスチュアート朝時代には、イギリス東インド会社とオランダ東インド会社がアジア地域の貿易支配で争っていたように、経済的に全盛期にあったオランダと戦争が行なわれていた。そして世界貿易においてイギリスがオランダを圧倒するようになった。この時代のオランダの統治者は、現在も存続しているドイツ起源のオラニエ家(オレンジ公)である。

さて、ジェームズ2世のときに起こったのが1688年の「名誉革命」である。この「名誉革命」でジェームズ2世はフランスに亡命(追放)した。このときオランダからやってきたのがオランダ総督オレンジ公ウィリアム(オランダ名でウィレム)である(ウィリアムの妻はジェームズ2世の長女メアリー)。そしてこのウィリアム(3世)が1689年に統治者として国王となり、ケンジントン宮殿で死去する1702年まで君臨した。これにより英蘭戦争を繰り返していたオランダとは“同盟”のような関係(正確にはメアリーとの結婚からとも言える)になったが、ウィリアムの「敵」であるルイ14世が君臨するフランスとの戦いに引き込まれていくことになる。これによって戦費(借金)が増大したはずである。

フランスとイギリスの「スペイン継承戦争」や植民地アメリカ大陸での植民地争奪戦などは“ブルボン王朝と名誉革命政権との戦争”と言えるだろう。

イングランド銀行の設立は1694年であるからこのときの国王はウィリアム3世(メアリーとの共同王位)であり、イングランド銀行に発券業務=通貨発行権を与えた(特許)のはウィリアム3世である。ウィリアムはオランダとイングランドとスコットランドこれら3国の君主だったわけだが、イングランド銀行を設立したのは、初代大蔵卿チャールズ・モンタギュー(ハリファックス伯爵)とスコットランド人のウィリアム・パターソンであった。チャールズ・モンタギューはニュートンの弟子であり、ニュートンが造幣局長官に就任したのはモンタギューの任命による。また、1695年にはスコットランド銀行(発券銀行)も創業している。

※ 追記
サー・ジョン・フーブロン(Sir John Houblon:1632-1711)
イングランド銀行創始者。1632年に7人兄弟として生まれる。フーブロンと他の兄弟4人はイングランド銀行設立メンバーとなり、1694年にフーブロンが初代総裁となる。在職期限の1697年まで勤務したが、亡くなるまで管理者として勤続しました。


もうひとつ注目しておくことがある。ウィリアム3世が亡くなるとメアリー女王の妹アンが女王になるが、このとき1707年にスコットランドとの関係を「連合」から「合同」にした(グレート・ブリテン王国の成立)。イギリスはスコットランドからジェームズ6世がやってきてジェームズ「1世」を名乗って以来スチュアート王朝になったわけだが、これは「同君連合」であり国家としては別々であった(スコットランドはフランスと友好関係にあり“外国人”のウィリアムが国王になることをすんなり認めなかった)。この“併合”により以後のスコットランド(スチュアート朝)はイギリスの歴史に合流したことになる。注目するのは次である。

アン女王が1714年に亡くなると、ドイツのハノーヴァー家からやってきたゲオルクがジョージ「1世」として国王になった。このとき王朝がスチュアートからハノーヴァーにかわったのである。ここから英国はハノーヴァー朝になった。21世紀の現在もこのハノーヴァー朝(現ウィンザー家)が続いている。ハノーヴァー朝はザクセン=コーブルク=ゴータという家名を持ち、オランダから独立したベルギーでは、初代ベルギー国王のレオポルド1世がザクセン=コーブルク=ゴータ家であり、これは現在も続くベルギー王国の起源になっている。上にも書いたように、オランダの統治者オラニエ家(オレンジ公)もドイツに起源を持つ。

以上のことから見えてくるのは、この時代に英国は乗っ取られたということになる。英国に“寄生”した主体は「国際金融家」であろう。莫大な戦費を必要としていた英国に、イングランド銀行は国家の債券を担保に「銀行券」を発行していた。そして紙幣が発行されたのである。すなわち「金本位制」が本格的に確立されたということ。これは“大事件”である。商業銀行が金貨を預かり紙幣を渡すシステムになったことで何が起こるか。

紙幣が流通し通貨として浸透してしまえば、金利目当てに金貨を預ける人が急増することはあっても、紙幣から金貨に交換する人は殆どいなくなる。「紙幣システム」が浸透しそれが安定すると、金貨を引き出す必要がなくなるのである。預金業務を行なう銀行に莫大な量の金貨が“吸い上げられた”のである。もっと言えば“盗まれた”つまり詐欺である。この金貨はイングランド銀行を中心とする金融家が“吸収”したはずだ。そしてイングランド銀行は民間銀行であり、イングランド銀行を「私有」していたのは預金業務を行なっている商業銀行の金融家たちなのである。

通貨発行権を金融家に握られることはなんとしても阻止しなければならない。なぜなら、通貨発行権を国家が握っていれば国家が通貨(紙幣)を使うことで通貨を供給できる(たとえば、雇用するとか何かを買うという意味)が、通貨発行権を金融家が握ると流通は貸し付けから始まることになるからである。通貨供給が利息付きの「借金」から始まるという「経済システム」になる。イングランド銀行は金融家グループが握ったのである。

金融家は、近代的中央銀行制度を確立しそれを掌握したことで「経済システム」そのものを支配できるようになったのである。国家=政府への貸し付けを通じ政策に影響を与えることで「国民の命運」まで掌握できるだろう。われわれが生きる現在の世界は、この「経済システム」のなかにいる。この金融家グループが米国に“公的な顔”をした連邦準備制度(FRB)を創設したのであり、FRBもイングランド銀行と同じように“公的な顔”をした民間銀行なのである。連邦準備制度は民間が所有しているので「連邦」ではなく、準備金の必要がない紙幣を“創造”するので「準備」でもない。

連邦準備制度理事会も重要な存在だと思っているが、FRBの中枢はニューヨーク連邦準備銀行なのでここを支配することが最重要になるはずだ。ニューヨーク連銀の初代総裁はベンジャミン・ストロングであり、ストロングを総裁に推薦したのはモルガンとクーン・ローブ商会である。あの「ジキル島の会議」にはストロングも参加しており、クーン・ローブ商会の共同経営者であるポール・ウォーバーグと、J・P・モルガンのネルソン・オールドリッチ(ネルソン・ロックフェラーの祖父)が「ジキル島の会議」の中心である。連邦準備制度はポール・ウォーバーグの素案に沿って創設された。ベンジャミン・ストロングはモルガンのバンカ-ズ・トラストの頭取を務めていた。

そして、ニューヨーク連銀の総裁となったベンジャミン・ストロングは、イングランド銀行の総裁モンタギュー・ノーマンと強固なつながりを持ち、英米の中央銀行は連動した。ノーマンはヒャルマール・シャハトの親友であった。この時代の中央銀行支配者は、ベンジャミン・ストロングとモンタギュー・ノーマン、そしてドイツ帝国銀行(ライヒスバンク)総裁のヒャルマール・シャハトであり、この3人は1927年7月に何やら重要な会議を開いていた。

※ モンタギュー・ノーマンの祖父は2人(父方と母方)ともイングランド銀行の総裁を務めたらしい。ブッシュ家につながる「ブラウン・ブラザーズ」を支配していたのはモンタギュー・ノーマンである。ノーマンは1944年までイングランド銀行総裁を務めたが、1944年と言えば「ブレトン・ウッズ会議」である。ノーマンのお友達であるBISの理事だったシャハトはニュルンベルグ裁判(国際軍事裁判)で無罪になっている。

こうした各国(といっても民間だけど)の中央銀行制度は各国の政治体制と経済を支配下におさめ、世界的な金融管理制度を創設した。もちろん日本も管理されている。こうした管理制度の頂点に位置付けられたのがスイス・バーゼルにある国際決済銀行(BIS)であり、日本銀行(日本政府が過半数の株を所有している)もBISにコントロールされているはずである。



※ コメントへ続きます。








最終更新日  2005年07月29日 13時25分34秒
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