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2005年09月14日
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カテゴリ:カテゴリ未分類


フランクフルトはブンデスバンクの本拠地としてもっともよく知られている。終戦時点では、ベルリンとハンブルクがライバルの金融センターになっていた。米国占領軍がドイツ官僚と協力し、フランクフルトに本拠を置く新たな中央銀行制度を設立したときに、フランクフルトの金融センターとしての地位が再確立する。地方分権的な銀行制度が導入されたので、長い間、ドイツでは大きな金融センターが育たなかったが、徐々にフランクフルトが中心地となっていった。1948年6月20日、駐留米軍は厳重な警戒の下、フランクフルト本部にライヒス・マルクにかわる107億マルク相当のドイツ・マルク新札を配送した。1984年にドイツ銀行は本店をフランクフルトに移し、現在、そのツインタワーは市内でもっとも目立つ高層ビルだ。




フランクフルトにあるドイツ銀行の本拠


ドイツ銀行の移転は、フランクフルトがドイツの金融センターという地位を取り戻した証拠ともいえる。今日、フランクフルトには400を超える銀行が居を構えている。


欧州中央銀行(ECB)の所在地はフランクフルトになるが、「カイザー通り29番地」これがユーロタワーのある場所である。1992年半ば、ECB本店の話が議題に上ると、ロンドン、フランクフルト、アムステルダム、バルセロナ、リヨン、リール、ストラスブールなどの都市が立候補宣言を行なった。ドイツ政府はフランクフルトを強く押し出したが、フランス政府は代案さえもっていなかったのである。フランスがドイツの要望を叶える方針だったため、他の都市の出る幕はなくなり、1993年10月のブリュッセルにおける欧州理事会(欧州サミット)でフランクフルトに決定された。

 



マーストリヒト条約は、ECBの前身として1994年に欧州通貨機構(EMI)を創設することを規定している。そのEMIがECBの規約、金融政策手段および運営方式を起草することになっていた。その意思決定機関(EMI評議会)は、EU各国の中銀総裁とEMI総裁で構成される。総裁には国際決済銀行(BIS)総支配人であったベルギー人のアレクサンドル・ラムファルシーが選出された。EU各国の中銀総裁たちは、長年にわたって中央銀行総裁会議の下で定期的に顔を合わせており、「中立的」な場所と考えられるスイスのバーゼルにあるBIS本店内に小さな事務局を置いていた。

最初からドイツの影響力が大きかった。元ブンデスバンク職員で、中央銀行総裁会議に勤務するため1993年にBISに来ていたハンスペーター・シェラーが、EMIの事務局長に任命された。ラムファルシーの下で、彼は金融政策戦略の草案作りを含め、単一通貨への移行にかかわるもっとも重要な準備作業を監督する。P・W・シュリュターというもう1人のドイツ人がブンデスバンクから移動してきて、EMIの事務部門を統括し、EMIの本部として高層ビルの「ユーロタワー」を選定する。市の南部にある35階建てのビルは、2、3フロアしか空いておらず、最初は一時的な居所と考えられていた。しかし、1998年初めには永住場所とする決定が下された。市外の高速道路のインターチェンジ近くにある、要塞のようなブンデスバンクとは違って、そこは市内の金融センター地区の真中に位置する。

 
Bundesbank Frankfurt


カイザー通り29番地、すなわちユーロタワーのある場所には、いろいろ入り組んだ興味深い歴史がある。近接地区全体がそうであるように、この通りは1871年にドイツ帝国が建国されてからはじめて開発・建設されたところで、フランクフルトの歴史のなかでは比較的新しい。1880年代末のカイザー通り29番地には、プロシアの王族にちなんだ「ホレンツォレルン・ハウス」という名前の建物があり、当時はかなりの名所であった。この建物は、最初はオッペンハイム・ウント・ヴァイルというユダヤ系不動産会社が所有していた。そのパートナーの1人にサイモン・E・M・オッペンハイムという銀行家兼実業家がいた。彼はあの著名なユダヤ系銀行家オッペンハイムの縁者である。その建物にはヤコブ・ジヒェルというユダヤ系銀行家の事務所も入っていた。市の公文書によれば、ヒットラーが権力を掌握した1933年に、市の戸籍簿からジヒェルの名前が突如消え去っている。ジヒェルの消滅に加えて、近隣地区にはもうひとつの不吉な変化があった。ホレンツォレルン・ハウスから北に向かう通りの名前が「アドルフ・ヒットラー通り」に変更され、終戦までその名称が続くことになったのである。

1970年に大戦中に空爆で破壊されたホレンツォレルン・ハウスの廃墟は取り除かれた。翌1971年からはじまる高層ビルの建設に場所を譲るためである。新築ビルの最初の入居者はバンク・フュア・ゲマインヴィルトシャフトという労働組合系の銀行であった。最近、ドレスナー銀行の子会社である不動産会社がそのビルを購入した。ECBはビル全体の賃貸を要請して交渉中である(99年)。2階部分を占めているソロモン・ブラザーズと、ドイツの銀行であるコメルツ銀行が入居しているだけなのである。その間ECBは、通りの向かい側にあるイタリア系のモンテ・デイ・パスチ・ディ・シエナという、世界最古の銀行のフランクフルト支店に会議室を間借りしている。







モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行の謎に迫る
http://www.love-italy.net/topics/siena_read/02.html



ユーロタワーの玄関はまったく目立たない。ECBが入居していることを示す看板は外にも内にもない。警備主任によれば「保安上の措置」だそうだ。ビルの外はあまり魅力的とはいえない。カイザー通りはフランクフルトの南西端に位置し、その辺りのおもな特徴にちなんで「駅前地区」と呼ばれている地域のなかを通っている。

戦争中、金融センター地区のほとんどを含め、市の半分以上は破壊された。元の姿に回復するのではなく、再建に携わる人々は高層ビルが林立する地平線を作ることにしたのである。フランクフルトは欧州でもっとも米国的な都市として知られるようになった。









 


フランクフルトの造幣史は、神聖ローマ帝国の皇帝がそこで選挙され、戴冠されていた1562年から1792年に起源をもつ。ユーロタワーから東に数ブロック行ったところに、歴史的かつ地理的に市の中心に当たる「レーマーベルク(ローマの丘)」がある。カール大帝が要塞を築き、その後、皇帝たちの戴冠式が執り行われるようになったところだ。戴冠式の後、13世紀に建造された赤い砂岩でできたゴシック様式の聖バルトロマエウス大寺院から市庁舎に向かう際、群衆から逃れるために皇帝が使用したという地下道が残存している。市庁舎で皇帝は再び姿を現わし、自分の横顔が刻まれた鋳造したばかりの貨幣を市民に配ったのである。

欧州のなかで、フランクフルトほどお金のおかげでその重要性を勝ち得てきたという都市はほかにない。何世紀にもおよぶユダヤ人に対する相対的な自由主義を背景に、フランクフルトは重要な金融センターに発展していった。神聖ローマ帝国およびその都市国家にはじまる初期の近代国家では、貨幣流通を司る効率的な銀行制度がどうしても確立できなかった。ユダヤ人だけは利息受け取り禁止の適用除外になっていたので、信用の提供者としては必要不可欠な存在であった。フランクフルトは8世紀末にかけて国際貿易の要衝に発展していった。793年の冬にカール大帝がフランクフルトに滞在したが、記録によれば、彼はユダヤ人を取引の代理人として使っていた。

30年戦争(1618~48)のとき、さまざまな政治勢力がユダヤ人を攻撃した。フランクフルト市議会は彼らの財力を支配しようと、ユダヤ人は皇帝ではなく市議会に対して忠誠すべきだと主張する。さらに、当時の欧州では一般的だった反ユダヤ主義政策を導入しようとして、ユダヤ人の移動の自由を制限する特別条例の制定を要求する。皇帝はこの制限の緩和を求めて戦う。「帝国ローマ皇帝および神聖帝国の保護」と刻まれた楯が、ユダヤ人街の3つの門にかかっていた。皇帝たちは何といっても、ユダヤ系オッペンハイム家に大きな恩義を負っている。レオポルト1世の対トルコ戦争に必要な戦費を調達したのは、宮廷御用商人、別名「宮廷ユダヤ人」のサミュエル・オッペンハイムであった。

フランクフルトは非常に豊かになり、ドイツ人の愛する詩人ゲーテは、ドイツの「秘密の首都」と呼んだ。ゲーテはここで生まれ育ち、現在、彼の像が通りを挟んで「ユーロタワー」の向かい側に建っている。



※ 参考書籍『ザ・バンク』



ウィム・ドイセンベルク
http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200509100000/

ジーメンスとドイツ銀行
http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200508230000/




トリシェ欧州中央銀行総裁



商品価格高騰が世界の経済成長を抑制=ECB総裁
(ロイター)- 9月12日22時7分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050912-00000433-reu-bus_all

ECBの金利政策では、原油高が及ぼす悪影響に対処できない=独連銀総裁
(ロイター)- 9月9日7時21分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050909-00000104-reu-bus_all

欧州中銀が現時点で利下げする理由はない=IMF欧州局長
(ロイター)- 9月14日8時46分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050914-00000571-reu-bus_all







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最終更新日  2005年09月14日 14時56分09秒
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