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2007年11月02日
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カテゴリ:洋画(07)
「誰でも人を殺すことは出来る。けれども、心の空洞は埋められない。」
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監督 : ニール・ジョーダン
製作 : ジョエル・シルバー
出演 : ジョディ・フォスター 、 テレンス・ハワード 、 ナビーン・アンドリュース 、 ニッキー・カット 、 メアリー・スティーン・バージェン

ある日、恋人を殺され自らも暴行を受け、自分の身を守ることから拳銃を手にしたことにより拳銃で法で裁かれない悪を撃ち殺していくことになった一人のか弱い女性。彼女はどうなっていくのか。

銃社会の中いつ正当防衛であれ人を殺す可能性を誰もが持っている社会、アメリカ人にとっては切実な問題なのだろう。また、悪人だったらその場で殺してもいいのか、「正義」だったら殺してもいいのか、と言う問いはイラク戦争を経たアメリカにとっては、やはり切実な問題でもある。

ひとつの答は、同じアパートに住むアフリカ系の女性が言う冒頭の言葉に集約される。彼女のふるさとでは、子供に銃を渡し、親を殺させる、という。(「ブラッド・ダイヤモンド」でもありました。)そうやって、人を殺すことに麻痺させる、と言う。人を殺すことは慣れることは出来る。けれどもいったん出来た心の空洞は決して埋まることはない。エリカ・ベインもそのことをひしひしとと感じる。けれども、殺しに完全にブレーキをかけることは出来なかった。「私は別人になった。もう戻れない。」

この映画はだから人殺しはいけない、と単純にはいってはいない。法による裁き以外に、正義による裁きはありえるのだ、とも言っている。正義を神と変えてもいいかもしれない。これはたぶん日本人には分りにくい感覚だろう、と思う。これを突き詰めると、結局イラク戦争も正当化される。つまり、最後の最後で世界を変えるのは、神=人間だ(「作為」)、と言う価値観でもあるだろう。一方、日本の場合は違う。最後の最後で世界を変えるのは、「自然」である。だから人の力の及ばざるところ、偶然によって、突然世界は変わるのである。作為と自然、この二つの概念は国によって強弱はあるけれども、どこの国でも時代でも存在する。個人から国の方針まで。どのように考えたらいいのか、悩ましい部分でもある。

映画では、ジョディ・フォスターがさすがに鬼気迫る演技をしている。全てが彼女のようにはならないだろうけれども。すこしづつ顔つきが変わっていく、すこしづつ悩みながら人が変わっていく様を見せる。映像とは恐ろしいものだと思う。






最終更新日  2007年11月02日 08時20分50秒
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