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カテゴリ:邦画(08)
映画を観た、と言う感じがした。興奮した。
監督・脚本 : 原田眞人 原作 : 横山秀夫 脚本 : 加藤正人 、 成島出 出演 : 堤真一 、 堺雅人 、 尾野真千子 、 高嶋政宏 、 山崎努 昔、新聞記者になりたかった。理由は本が好きだから、それに関することで食っていきたかったから、という単純なもので、小説家にはなれないだろうから、可能性がまだ高い新聞記者「にでも」なろうとしたわけだ(^_^;)。就職試験で一顧だにされなかった。当たり前である。ただ、大学時代に新聞作りをした。そのとき、創作活動である小説家の類とはまったく次元の違う職業であることには気がついた。 ともかく「足で書け」といわれた。 映画の中で、現場の記事が間に合いそうにない段階で、共同通信の記事をテレビ放送を見ながら加工して書こうとしているのを、悠木が「そんなみっともないマネはするな」と罵倒する場面がある。自分の目で見た事実でもって勝負する、それが記者魂である。だからこそ、「雑感」をめぐる悠木と現場記者と局長たちとの葛藤が生まれるのであり、映画はうまく描いていたと思う。 「日航全権悠木」と黒板に書かれた文字をめぐるエピソードは映画ならではの処理であり、素晴らしい。冒頭の雑然とした新聞社の雰囲気は、見事だった。あれは映画魂をくすぐられる。 新聞は時間との闘いである。そして、心を動かす「事実」には振り回される。 いわゆるスクープネタに関しては、最終的には新聞社一致団結して「抜こう」とする。「事実」には振り回されるが、「事実」の持つ力を信じているからこそ、でもある。最後の堺雅人が読み上げる、落ちていく飛行機の中で書かれた父親の遺書のことは、誰もが覚えている。あのあと悠木がどのような行動をとったかは、分らないが、あの記事をいかに読者に届けるか、頭の中でイメージして、それを作る快感に浸りたいと思ったということだけは確かだろう。 原作は大好きな一作である。現代の新聞記者小説ではこの作品がベストだと思っている。映画ではいくつか設定を変えている。悠木は社長の私生児だとにおわすようなところがあり、社長(山崎務)の性格描写にかなり時間をかけている。それもラストに向けての伏線であり、納得は出来る。原作で、最後のヤマとなる遺族感情を逆なでにする投稿の掲載の是非についてのエピソードはすっかり抜け落ちている。その代わり、ダブルチェックに異様に拘る悠木のエピソードを入れている。(わざわざニュージーランドロケまでする必要はないとは思うが)全体的に原作の泥臭さは薄れ、すっきりとテーマが見える作品になった。 尾野真千子をよくぞ起用した。彼女は化けると思う。堤真一、堺雅人、山崎努はさすが、である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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