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カテゴリ:邦画(11~)
一応見ておきました。「SP野望篇」で憂慮したことはほぼその通りになりました。一生懸命(でもないか)時間を作ってみたテレビスペシャル「SP革命前日」を別に見なくても、「野望編」を見なくても、十二分に筋は追うことが出来る内容でした。
監督 波多野貴文 出演 岡田准一 (井上薫) 香川照之 (伊達國男) 真木よう子 (笹本絵里) 松尾諭 (山本隆文) 神尾佑 (石田光男) 堤真一(尾形) いま、国は未曾有の危機に直面しています。映画を見ている間中、こんなままごとをしている事態ではないだろ、と映画の責任ではないけれどもついつい思わざるを得ませんでした。こんな映画を見るくらいだったら、もう少し有意義な映画を探したほうがいいんとちゃう?全額1800円で野望篇、革命篇2本を見た私です。元気な人は映画館に行って、沢山本を買って、日本の経済を立て直さなくちゃいけません。もっといい映画を観ましょう。 以下ネタバレ。見ていない人は読まないように。 あまり内容に付いて言及する気分にはなれないけれども、いちおうこの映画をこき下ろす根拠を書いておかなければ、この映画ファンに対して失礼なので書きます。例えば「この腐りきった世の中を変えるために民衆を覚醒させるのだ」という以上、国民がそうせざるを得ない綿密な仕掛けがあるのかと思ったら、全国民がおそらくそうではないかと思っている国会議員の汚職の実態を国会を占拠して告白させるだけ。伊達の裏切りは、ものすごい仕掛けがあるのかと思ったら、単に尾形にたてついて英雄気取りをするだけ。マンガや小説で何度も何度も描かれた展開です。国民がそんなことで覚醒するはずもないし、伊達を英雄として祀るはずもありません。尾形の綿密な計画としてオリジナルなのは一点のみ。なぜ彼が「SP」となったかというのは、結局一つのアイディアがあったからだけだということがこの映画で明らかになりました。国会を占拠するためには、国会の周りで武器を使用できるのはSPしかないという事実。それならば、SPに「大義」を与えれば、国会占拠できるじゃん。これのみです。でもそれで「革命」が保証されることでは全然ありません。しかも、リーダー尾形の元もとの動機は私怨であることをわざわざ時間をとって首相に語らすという幼稚さ。まるで次があるかのような終わり方でしたが、尾形は明確に自らの死を意識していたので、あの革命計画はまさに「ごっこ」だったのです。それに対抗する井上の理屈も幼稚だというのは、前記事で書いた通り。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年03月31日 08時57分57秒
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