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栄光の名馬たち

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Kyubo

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2010/07/26
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ディープインパクト

 

2004年12月19日阪神競馬第5競走の2歳新馬戦(芝2000m)で武豊を主戦騎手に据えてデビュー。

2着のコンゴウリキシオーに4馬身の差を付けてデビュー戦を勝利。

レース後、厩務員の市川は、このデビュー戦の強い勝ち方に「派手にやってしまった」と消耗を
心配したが、レース後すぐに息が戻っていたので「クラシックでも戦える」と思ったという。

競馬評論家の井崎脩五郎が、翌日に行われたイベントで「今まで(=数十年間)見てきた中で、
一番『これは強い』と思ったレースは?」と振られ「昨日のディープインパクトの新馬戦」と答えたほど
の圧勝であった。

続く2005年1月22日・京都での第2戦目の若駒ステークスは最後方から競馬をしたが、直線で一気に
突き抜け5馬身差勝利。

この勝ちっぷりで、ディープインパクトの名が一気に全国区となった。

更に中山での第42回弥生賞。関東では初出走となったが2歳王者のマイネルレコルトや京成杯を制した
アドマイヤジャパン以下に、クビ差ではあったものの鞭を一回も振るわずに勝利し、クラシックの最有力馬
に躍り出る。

第65回皐月賞では、単勝支持率が63.0%(オッズは1.3倍)と、1951年のトキノミノルの73.3%に次ぐ
史上2位となった。

直線では、レースで初めて鞭が入り(4角で一瞬気を抜く場面があったので鞭を入れたと武豊
は証言している)、2着のシックスセンスに2馬身半の差をつけ勝利。

迎えた東京優駿、当日の東京競馬場には14万人もの観衆が押し寄せた。

左回りコースは初出走となったが単勝支持率は73.4%(オッズは1.1倍)とハイセイコーの持っていた
当競走における単勝支持率最高記録を更新する人気となった。

直線では一頭先に抜け出したインティライミに残り200m地点で並んでから同馬を突き放して
5馬身の差をつけ、前年のキングカメハメハに並ぶ2分23秒3のレースレコードタイで優勝し、1992年の
ミホノブルボン以来となる史上6頭目の無敗の二冠を達成した。

武豊はインタビューで「感動しています。この馬の強さに…」と言い、レース後の記念撮影では指を
2本立てて二冠をアピールした。

 

秋初戦となった神戸新聞杯は、2着シックスセンスに楽に2馬身半の差をつける完勝。

そして三冠のかかった2005年10月23日の第66回菊花賞。

直線ではアドマイヤジャパンを差し切り2馬身差をつけて優勝。

シンボリルドルフ以来、21年ぶり史上2頭目の無敗での三冠馬となった。

ちなみに、ゴール前での馬場鉄志アナウンサーの実況「世界のホースマンよ見てくれ!
これが!日本近代競馬の結晶だ!」は2005年のFNSアナウンス大賞を受賞した。

菊花賞後は、史上初となる無敗でのグランプリ制覇を目指し、古馬と初対決の有馬記念
に出走した。

ハーツクライに半馬身及ばず2着に完敗、8戦目にして初黒星を喫した。

2005年の活躍をうけ、この年のJRA賞では年度代表馬および最優秀3歳牡馬に選出された。

関西競馬記者クラブ賞も受賞した。

 

2006年初戦の阪神大賞典ではデルタブルースやトウカイトリックを寄せ付けず3 1/2馬身の差
で優勝。

4月30日、続く第133回天皇賞(春)。

第4コーナーで早くも先頭に立つと、上がり最速の3ハロン33秒5の脚を
繰出し、リンカーン(2着)に3 1/2馬身の差をつけ優勝し、レース史上最高の単勝支持率75.3%
に応えた。

勝ち時計の3分13秒4はレコードタイムで、1997年の第115回競走においてマヤノトップガンが記録した
3分14秒4のレコードを1秒更新した。

5月8日、凱旋門賞出走に向けた海外遠征プランが発表され、その前哨戦として6月25日に京都競馬場
で開催される第47回宝塚記念に出走する事となった(宝塚記念は例年、阪神競馬場で施行されるがこの年
は阪神が芝コースの外回りの新設工事に伴い京都で代替開催となった)。

当日の京都競馬場は雨で馬場が悪くなっていたが、直線では馬場外目を鋭く伸び2着の
ナリタセンチュリーに4馬身差を付け優勝した。

なお三冠馬がこのレースを制したのはシンザン以来41年ぶりとなる。

 

そして8月9日、凱旋門賞出走のために帯同馬のピカレスクコートと共に出国し、現地時間9日
午後2時56分にフランスに到着した。

9月13日には凱旋門賞が開催されるロンシャン競馬場でも調教が行われた。

10月1日、凱旋門賞は8頭という史上2番目の少頭数で行われた。

レースでは好スタートを切り、今までの控える競馬とは違い道中2~3番手でレースを進めると、
残り300m地点で一旦先頭に立ったものの突き放すことはできず、残り100m地点でレイルリンクに、さらに
ゴール直前でプライドにも交わされて3位入線に終わった。

敗因として武豊は「直線もハミを取っていなかった。いつもならある、もうひとつのギアを出すこと
ができなかった」と語っている。

また、レース上がり5ハロンが56秒台と非常に先行馬にとっては厳しい流れであり、先行した馬で
ディープインパクト以外は沈んでしまっている。

ところが、レース後の理化学検査ではフランス競馬における禁止薬物イプラトロピウムが検出され、
ディープインパクトは失格になった。

この遠征について競馬評論家の石川ワタルは、「禁止薬物の詳細に無頓着なままフランスへ行き、
世界最高峰レースに敢然と立ち向かう構図」「世界の眼からはドン・キホーテ的な立ち居振る舞いに見える
ことだろう」と評した。

 

ディープインパクトは10月4日にフランスから日本に帰国し、競馬学校で検疫が行われた。

そして10月8日に池江によって10月29日の天皇賞(秋)が復帰初戦の予定とされたため、特例により
同レースが開催される東京競馬場で着地検査が行われた。

10月11日には2006年限りで現役を引退することが発表され、51億円(8500万円×60株)のシンジケート
が組まれ種牡馬となることが決定した。

この額は日本で繋養された種牡馬としては史上最高価格である。しかしそのわずか数日後、上述の
禁止薬物騒動が起こり、調教自体は続けられたものの、ディープインパクトの周辺は天皇賞どころでは
ない雰囲気となってしまった。

結局、「帰国してから日が浅いので」(池江談)天皇賞を回避し、同馬による同年・春秋連覇の夢は
消え日本国内での復帰初戦は第26回ジャパンカップにずれ込む事となった。

正式に凱旋門賞失格が通告されたのはその直後である。

迎えた11月26日の復帰戦ジャパンカップでは、2005年の有馬記念以来となったハーツクライとの再戦
に注目が集まった。

競馬マスコミは両馬の再戦を煽ったが、ディープインパクトは上述の薬物騒動→凱旋門賞失格の
ゴタゴタがまだ払拭されておらず、ハーツクライも、陣営が同馬に喘鳴症の兆候がある事を明かす

(この時点では、レースには影響ないはずというスタンスであった)等、世紀の再戦というにはやや
影のあるムードだった。

ディープインパクトの単勝支持率は61.2%で、日本国内で走ったレースの中では最も低かったが、
これでもジャパンカップ史上最高の支持率だった。

なお、同レースは海外からは当年のカルティエ賞年度代表馬ウィジャボードを含む2頭しか出走せず、
日本馬を合わせても11頭しかいないという、ジャパンカップとしては少数立てのレースとなった。

(理由はディープの強さを他の厩舎が知っていたことにより出走回避が相次いだ為)

レースはディープインパクトが終始最後方で待機、直線に向くと内に入ったウィジャボードを初めと
する他馬を一気に捲くり、直線残り400mあたりからムチの連打で追い込み、残り200m付近でドリーム
パスポートを差し切り、2馬身差をつけ優勝した。

レース後は武豊がウイニングランを行い、ファンに健在ぶりをアピールした。

そして表彰式に出るときに武豊はファンと一緒になって万歳三唱をした。

記念撮影では武の5本指に金子オーナーの1本指が加わって六冠を表す6本指が出来た。

一方、再戦ムードを盛り上げたハーツクライは、陣営の予測以上に喘鳴症が進行しており、まったく
見せ場なく10着に敗れた。

 

そして12月24日、引退レースとなる有馬記念に出走した。

事前に行われたファン投票では119,940票を集め2年連続1位、かつファン投票で選ぶレースとしては
3レース連続(2005年有馬記念・2006年宝塚記念・2006年有馬記念)1位となった。

引退レースとして注目が集まったこのレースで単勝支持率は70.1% (オッズ1.2倍)と1957年に
ハクチカラが記録した76.1%に次ぐ史上2位となった。

レースでは道中は後方3番手につけ、3コーナーから追い出して直線で早々と先頭に立つと、最後は
流しながらも2着ポップロックに3馬身の差をつける圧勝で、見事に有終の美を飾った。

武豊が「生涯最高のレースができた」(翌日のスポーツニッポンの手記にて)と言うほどのレース内容
だった。

また、このレースでシンボリルドルフやテイエムオペラオーに並ぶ中央競馬GI7勝の最多タイ記録
(史上3頭目)を達成し、獲得賞金ランキングでもテイエムオペラオーに次ぐ単独2位にランクイン
した。

この後、ウイニングランは行われなかったが、記念撮影では武の5本指に金子オーナーの2本指が
加わって七冠を表す7本指が出来た。

そして有馬記念当日の全競走が終了した後に引退式が行われた。

約5万人のファンが見守る中、同日の有馬記念のゼッケンを付けて登場し、ファンに最後の勇姿
を披露した。

2006年のJRA賞では2年連続の年度代表馬(2002年・2003年のシンボリクリスエス以来の2頭目。
啓衆社賞・優駿賞時代も含めると5頭目)および最優秀4歳以上牡馬に選出された。

JRA賞選考委員会の記者投票では総得票数289票のうち年度代表馬で287票、最優秀4歳以上牡馬で
288票を獲得した。

昨年に続き関西競馬記者クラブ賞も受賞した。

 

2006年12月25日付で競走馬登録が抹消され、2007年から北海道勇払郡安平町の社台スタリオン
ステーションで種牡馬となった。

現在ディープインパクトは、父サンデーサイレンスや、ノーザンテースト、リアルシャダイが過ごした
功労馬厩舎で過ごしている。

2007年2月14日には社台スタリオンステーションで引退後初めての一般公開が行われ、会場には
約1200人のファンが集まった。

2008年5月8日平成20年度顕彰馬選出投票において競馬担当記者による投票で186票中164票を獲得し、
28頭目の顕彰馬(競馬殿堂入り)に選出された。

それを記念してJRA競馬博物館の1階メモリアルホールにおいて「祝 ディープインパクト号殿堂入り
記念展」が5月17日より開催され、馬主服の複製や東京優駿とジャパンカップ優勝時装着した蹄鉄などが
展示されている。








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Last updated  2010/07/27 11:57:50 AM
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