㈱FPコンサルツ広場 FPの幸せ探検隊

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正義仁愛

2020.12.08
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カテゴリ:正義仁愛

北朝鮮の船が波の合間に小さく見えてきた。

「皆準備はできているか!」

組長のだみ声が船全体にこだました。

今回の取引はうちの組の全てをかけている、失敗は許されない。

先方の船が20メートルまで近づいたとき雲の切れ間からキラリと光が見えた気がした、太陽の光だった。

密輸入は前準備から相当の時間とお金をかけ信頼できる相手を探し絶対に証拠を残さないことが鍵だ、その計画の骨子は海斗に任されていた。

元海上保安官として何をやってはいけないのか事前に打ち合わせは出来ていた。

積み荷を移し替えるとき、そしてそれを陸揚げするとき何の証拠も残してはいけない。

そのために岸壁から陸揚げせず寄港地が近づいたらまたわざわざ小さなボート3隻に荷物を積みかえ港から遠く離れた砂浜の入り江に入港させ港では事前に用意した魚を陸揚げさせるという念の入れようだ。

万が一港で海保に発見されてもただの漁船の漁ということになる。

 







Last updated  2020.12.08 13:22:48
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2020.11.08
カテゴリ:正義仁愛



高校を卒業してのいきなりの全寮生活、朝はマルロクサンマル
(6時30分)起床整列、その意味はマルロクニーゴー(6時25分)には校庭に整列し隊列を正し点呼を終えていなければならないということだ。

国土交通省の外局に当たる海上保安庁は旧海軍の伝統を強く受け継いでいた。

海上保安庁の職員は行政官に当たる国家公務員の行政職だ、なのに指揮系統は軍隊色を強く帯びていた。(海軍ではこれを5分前の精神と言って厳しく教えられた)

最初の1週間はオリエンテーション期間と言って特に厳しかった全校生徒は春休みで校舎にはいないが4学年のオリエンテーション委員が学校に残っていて新入生を厳しく鍛えた。

起床直後寝室に入ってきてシーツにしわでもあれば強く叱責されその場で腕立て伏せを20回させられた。

なんとこの期間に学校を逃げ出すものもいた、深夜裏門の金網をよじ登り翌日学校に電話して退職を願いだすのだ、なんとも情けない話だが後で分かったのだがこれは学生をふるいにかける手段だったらしい、入学試験にぎりぎり落ちた者でもラッキーな奴はこの時、選ばれた50名に仲間入りをする。







Last updated  2020.11.08 18:23:05
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2020.11.06
カテゴリ:正義仁愛

正義仁愛(NEW) 

九州北西部を牛耳る広域暴力団山城会はここ5年で急激に勢力を伸ばし人員の数も3倍に増えたその原因の大きな原因は低価格で質のいい覚せい剤や大麻の入手と大量の武器の入手で他の暴力団を圧倒していた。

それは5年前に海上保安庁をやめ入会した海保大卒の一人の男の作ったシステムによることが多い。

彼はNKルートとヨーロッパルート、南米ルートによって大量の麻薬、けん銃、自動小銃を入手し山城会に多大な貢献をしていた。

海保大といえば海上保安庁職員1500名のトップ1パーセントにも満たない高級幹部を養成する大学で広島県の呉市にある。

海上保安庁に5年勤務していたので内情はよく知っている海保の動きが手に取るようにわかりけっしてしっぽを掴ませない、この5年で若頭に上り詰めた。

海上保安庁をやめたときは二等海上保安正(警察でいえば警部)で上層部がどう動くのかもよくわかっていた。

彼が海保をやめた理由は保安大の学生の時期に起こったある出来事でそれは

後に語ろうと思う。

 

 

 「あの島が見えるかい?」

海斗は幸雄に挑戦するような目で尋ねた。

その日はうだるような暑さで人間の体温以上はあったと思う。

「見えるよ、ざっと3マイルはあるな」(1マイルは約1.8キロメートル)

「どっちが先に泳ぎ着くか競争しようよ」と海斗がきりだした。

二人とも海上保安大学校の学生で遠泳には慣れていた。

「オーケー、そのかわり勝ったほうが焼き肉をごちそうしてもらうことにしよう」

と幸雄は答えた。

さっそく二人とも堤防を乗り越え砂浜の海岸に服を脱ぎ捨てると勢いよく海中に飛び込んだ。

大学校の訓練で5マイルの遠泳はあったが両サイドに救命艇が付き泳ぎのレベルに合わせて編隊が組まれ少しでも遅れると救命艇に上げられ失格となった。

これにはちゃんと理由があった、それまでは二人一組で競争するという方式だったが青山さんという先輩が行方不明になり後日死体で発見された。

それ以降この訓練は安全第一ということになり二人一組は禁止になり編隊で泳ぐようになったのだ。

二人とも泳ぎには自信があったが救命艇もおらずしかも競争して泳ぐとゆうことに若干の不安はあった。

しかし、若い二人にとって焼き肉というのは魅力で呉の中通りにある武蔵坊の焼き肉は何よりのごちそうであった。

 

よーい、てー!

これが出発の合図だった。

海斗は勢いよくスタートを切ったため300メートルほど泳いだところで息が切れてきた、後ろを見ると幸雄はマイペースで速度こそ遅かったが着々と距離を稼いでいた。

瀬戸内海という海はいかにも穏やかで波もなく平穏なようだが島々が入り組んでいるため潮流が激しく場所によっては7ノットもの速度で海水が流れている。

いくら泳ぎがうまくても平泳ぎではいくら頑張っても2ノットも出せない、それに加えて海水温が変化し一定ということはない。

この時も8月の後半ごろでクラゲの大群と出くわすこともある。

瀬戸内海は見かけによらず危険な海なのだ。

海斗のペースは落ちてきた。

「やっぱり最初から飛ばすもんじゃないな、疲れてきたよ」

幸雄のやつ着々と距離を詰めてきているらしい、後ろのほうで水をかき分ける音がする。

海斗が振り返り見ると幸雄の姿がない?

「あいつ、潜行して俺を追い越し驚かせようと思っているんだな」海斗はそう思った。

自分も潜行してあいつを驚かせてやろう、そう思って少し引き返すように潜ってみても幸雄の姿は見えない。

まさか、潮流に流されたのではないか、海斗は急に不安になって体中の血の気が引いてきた。

競争どころではなくなった。

海岸まで引き返し周りを見渡してみたが波しぶき一つ立っていない。

海斗は怖くなって脱いだものを着て近くの民家に駆け込んだ。

「すみません、電話をお借り出来ませんか?」

青い顔をした青年に民家のおばさんは尋ねた。

「友達が泳いでいるうちに雪絵不明になったんです」

「それは大変じゃないか、警察に電話しなさい」

「はい」と答えて110番を回した。

「そうしましたか、事件ですか、事故ですか」

「水泳中に友達が行方不明になったんです」

「あなたのお名前は?学生ですか?社会人?」

海斗にはこの警察のやりとりがもどかしくてしようがなかった。

「場所はどこですか?」

その家のおばさんに土地の住所を訪ねるとそのままオウム返しのように警察に伝えた。

もう、3時間ほどたつと日が暮れて捜索ができなくなる、海斗は焦っていた。

20分ほどすると2台のパトカーと救急車がその家の前に停まった。

どのあたりで見失ったんですか?警察はそう尋ねると海岸へ向かって歩き出した。

「あの辺です、海岸から300メートルほど先」

「あなたは何をしていたんです?」

「一緒に泳いでいました、競争していたんです、あの島まで」

「いつ気づいたんですか?」

「そんな細かいことはどうでもいいですから早く捜索隊を出してください」

まったく警察というものはもどかしくてしょうがない、とにかく、粉あたり一帯を捜索したらいいんだ!

海斗はつい、声を荒げてしまった。

警察は地元の漁船の協力も得て本格的に捜索しだした。

あれから2時間半近く経過してあたりは暗くなりだした、海斗は競争したことを激しく公開した。

日没過ぎてもてがかりは見つからなかった。

二人は海上保安大学校の一学年で遠泳訓練が終わり夏休みに入ったばかりだった、訓練ですっかり泳ぎに自信ができてしまって瀬戸の海を甘く見すぎていたのだ。

今日はもう暗くなったので捜索は打ち切ります、明日の朝6時から捜索を開始しますのであなたも立ち会ってください、そういって警察と消防は引き返していってしまった。

海斗は呉市に宿をとって一晩泊ることにした。

夕食を食べる気にもならない、もちろん一睡もできなかった。

大学校は夏休みだ、学生課の教官に連絡をしておいたほうがよいだろう、しかしその手段は?

「そうだ、当直がいるはずだ!当直経由で教官には連絡を入れておこう。

大学校に電話して当直にはつながったが当直から教官にはその日は連絡が取れなかった。

警察と消防そして海上保安庁の3日間の必死の操作にもかかわらず消息は全くつかめなかった。

「もう、助からないな」海斗は小声でつぶやくと大きなため息をついた。

その知らせは警察から幸雄の実家に行方不明になった日に伝えられその家族は瀬戸内海の小さな島の民宿に泊まりこんでいた。

「あなたが同行しながら何故わからなかったのですか?」幸雄の母は海斗を責めるように睨みつけた。

「はー、はい。引き返してみたのですがどうしても見つからず警察に捜索を頼みました」

幸雄の父は元海上保安官で海の危険さは誰よりも知っていた。

「まあ、海斗君をそんなに責めてもかわいそうだろ」

海斗は少し救われた気がした。

三日間の捜索が終わると人員は削減され10人ほどになった。

もう一週間で夏休みも終わろうとしていた。

 

  大学校に帰ると一学年大上幸雄君の遭難のことで大学中が大騒ぎになっていた。

全寮制、一学年50名以下という特殊な社会では同期の名前がすべて言えるほどの結束力でまたそのせいで同期の批判の目は海斗に向けられ毎日が針の筵に座らされているようで生きている心地がしなかった。

「お前のせいじゃないよ」と慰めの言葉をかけてくれる者もいたが海斗は自分が許せないでいた。

逃げ出したい気持ちでいっぱいでもう学校もやめてやろうとも思っていた。

学生課の教官から呼び出しがかかり注意された。

「事故はどこでも起こる、仕方なのないことだ。だが、君は大きな間違いを起こしている、それが何かわかるか」

「いえ、わかりません」

「遠泳訓練をしただろ、編隊泳法だったよな」

「はい」海斗はもう何を言われるかわかっていたが黙っていた。

「何故、編隊泳法にしなったのだ?競争して前年に死亡書が出たからだろう、何故二人だけで、しかも競争なんかしたんだ!」

「二人とも泳ぎに自信があったからです」

「馬鹿者!海をなめるんじゃない!ましてや海保大の学生、将来は指導的立場に立つ人間だ、訓練した意味が全くないではないか」

海斗は何も言えなかった。

心の痛みはとても強かったので教官の叱責が何故かうれしくさえもあった。

叱られているのに慰められいるような不思議な気持ちになった。

大上幸雄君は偶然にも山口海斗と同じ受験地でしかも席が前と後ろという偶然とその受験室にいる約50名の受験生のう試験に受かった二人だったのだ。

大上幸雄君は島根県の隠岐の島にある西ノ島の出身で高校は松江市にある松江北高校の出身だった。

海保大の試験は毎年10月に全国48か所で行われ我々の受験地は鳥取県の米子市にある米子北高であった。

後ろの席だった海斗は幸雄の英語の辞書に落書きで「Love is Power」と書かれていたのをはっきりと覚えていた。

 

  大上幸雄君の葬式は翌年の冬に行われ親しかった友人5人は境港市から出発する隠岐汽船のおきじ丸に乗り込み冬雲が空をふさぐ陰気な天気の中しける日本海を4時間かけて西ノ島まで向かった。

皆、一様に黙りこくっていた。

幸雄君には二人の妹がおり、不謹慎を覚悟でいうと二人とも美人だった。

そして、幸雄自身も身長は180センチ筋肉質でいい男だった。

自宅に通された我々は流れてくる音楽にはっとした。

SGのスカボロフェアだった。

妹がお兄ちゃんの好きな曲だったのよとポツリといった。

海斗は家族から責められるのは覚悟していたが一言も責める者はいなかった

それが余計に海斗を苦しめた。

葬式が終わると不思議なもので少し肩の荷が下りたような。

「葬式ってそのためにあるのだろうか?」







Last updated  2020.11.06 16:19:10
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