ホシミスト3013の天体撮影記

2013/09/28(土)16:01

麻田剛立と安島直円

太陽系(560)

 豊かの海には、日本人の名前がつけられたクレーターが二つあります。  月には、正式に、日本人の名前がついた地名は、全部で12個(13名)  (日系人であるオニツカを含めたら、13個14名)  このうち大きさや、そのある場所、を考えたときに、  地球上から見えるものは2つだけ、  それがこの、アサダ、と、ナオノブ、なんですね~~。 20130921豊かの海・麻田剛立・安島直円 posted by (C)ホシミスト_3013  麻田剛立は、1734年生まれ、大分県杵築藩出身の医師で天文学者。   1763年の旧歴9/01の日食は、当時の暦に予報されていなかったにもかかわらず   独自の計算で、これを予報したことから有名となったそうです。   反射望遠鏡で日本最古の月面観測記録を残し、   ケプラーの第3法則を、独自に発見していたことでも有名なのだそうです。  安島直円は、1732年生まれ、山形県庄内藩出身の和算学者。   和算の大家として最高の称号を与えられている関孝和   (映画「天地明察」で安井算哲に、数学や授時暦のことを教える役で登場してますね)   と同格に称されています   幾何学の研究で優れた成果を上げた人なのだそうで、   ヨーロッパの研究者よりも先にいくつかの定理を発見していたのだそうです。 20130921豊かの海・アサダ・ナオノブ・名前入り posted by (C)ホシミスト_3013  アサダやナオノブの周りを見ると、  コロンブス・マゼラン・メシエ・ダビンチ、と  そうそうたる面々の名前も並んでいますね~。  月の海は、その昔、観測者たちが空想の世界で、  月の暗い平原を海に見たてて、船で航海している者がいるかも・・・  と言っていたことにはじまり  1610年にガリレオが、1630年にケプラーが、それぞれ「海」と呼んだのだそうです。  昨日書いたように、1651年に、リッチョーリとグリマルディが海を命名、  目立つクレーターに名前をつけたのが、現在でも生きているわけですが、  その際使われた名前は、海は気象に関する言葉、  クレーターは1651年以前に(当たり前ですね・笑)月の観測に力を注いでいた高名な天文学者  を中心として選ばれたそうです。  国際天文学連盟が正式な地名の命名を行ったのは1934年で1935年に刊行され、  この当時、地球から見える月の表側は681の地形が名付けられていたそうです。  その後、月観測衛星の観測データなどで、次々と新しい地形、更には月の裏側の地形  が明らかになったので、1970年に追加で命名をし、513の地名が決まったのだとか。  この時に使われていた日本人の名前は11名分、  このうち、個人を特定しないファーストネームが3つあり、  また、ヒラヤマ、は、2名の平山さんから取られていたので、  個人名がついたクレーターは7つだったわけです。  直径1kmとか2kmというクレーターを地球上から見るのは困難なので、  この当時、月の表面にあって、地球から見える日本人の名前がついたクレーターは  サヘキだけだったんですね。  サヘキは  10km以下のクレーターは、付近の大きなクレーター名にA,B,C…(I,O除く)の記号を付ける  という原則の余波を受けてか、現在ではグリマルディBと呼ばれていますので  この当時からある、個人名が正式名称のクレーターは6つなわけです。  1976年に新たにわかった地形への命名にあわせて、  アサダ、と、ナオノブ、が正式に承認され、  月の表側に、地球上から見ることのできる、日本人の名前がついたクレーター、  が誕生することになった、  といういきさつなのだそうです。    

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