2005/05/29(日)18:42
「一杯」と「いっぱい」
コンビニでお弁当やカップラーメンを買った。レジで、アルバイトの若いお嬢さんに「お箸は何本必要ですか?」と聞かれ、ちょっと考えて「3膳お願いします」と言った。イヤミに聞えたら嫌だなと思ったが、かのお嬢さんは少し照れて「3膳ですね。ありがとうございます」と笑った。この「ありがとうございます」が、“お買い上げありがとう”なのか“教えてくれてありがとう”なのかは、定かではなかったけれど、私も気持ちよく笑顔を返すことができた。
最近、言葉の問題がよく話題になるが、いわゆる「ら」抜き言葉などは、私はあまり気にならないほうだ。時代に沿って、言葉が変化することは当然だと思うし、また必要だとも思う。今でも平安時代や江戸時代の言葉で喋ってる人はいないものね。
ただ、物の数え方はやたら気になる。これはずっと変わらずに使われてきたもの、という意識があるからだろうか。いつ頃から、物の数え方が定着してきたのかはわからないけれど、大袈裟な言い方をすれば、美しい日本語を支えている要因の一つだとも思う。
たとえば、メロンやキャベツなどを数える時に、「一個」というよりは「一玉(ひとたま)」と言ったほうが、その物の持つ形状や量感を感じることができる。イカやカニを「一杯、二杯」と数えるのは、胴体の部分が水などを入れる物に似ているからだと聞いた。箸は膳のものをいただくのに使われるので「一膳、二膳」と数えるが、菜箸や火箸のように食事に使われない箸は「一組」「一具」と数える。このようにそれぞれに意味がある数え方が多く、調べてみるとけっこう面白い。
また、数や量によって数え方が変わるものもある。海苔は「枚」で数えるが、十枚で「一帖」になり、食パンはそのままでは「一本」、ある量に切り分けると「一斤」、もっと切ると「一枚」となる。握り寿司は二個で「一貫」。鳥は普通は「羽」だが、ダチョウのように大きな鳥は「頭」だ。カセットテープやビデオテープのように使っても減らないものは「一本」と数えるが、トイレットペーパーやガムテープなど減ってしまうものは「一巻」。
勝負をする場所は、ほとんど「一面、二面」と数える。テニスコート・サッカーコートなどはもちろんだが、相撲の土俵も同じ。将棋や囲碁も勝負事、同様に「面」で数えるのも面白い。
物の数え方ではないけれど、気づいたことが一つ。数を数える時、「いち・に・さん・し・ご・ろく・しち・はち・きゅう・じゅう」と数えるけれど、カウントダウンの時には「し」が「よん」になり、「しち」が「なな」になる。これって、なんでだろう? ...まっ、いっか(^^;)
数え方も一つの文化だろう。日本語表現の豊かさや奥深さ、味わい深さをしみじみと感じられる。簡略化されて、何でもかんでも「一個」「一つ」と数える傾向があるけれど、消えてしまわないように、正しく使っていきたいものだ。
「一口ちょうだい」と言って、三口分くらいのケーキを食べてしまったり、一杯のお酒より、いーっぱいのお酒が好き。「あなたよりいっこ年上よ」などと言っている私。あまり、偉そうなことは言えないようだ。