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最近“鬱”入ってます。
今日もまた学校に行かなかった。 自分の生について考えてみた。 そもそも、なぜ人は生きるのだろうか。 所詮人の命は長くて100年ちょい。短かけりゃ、一分後にでも死ぬ。 でも人は明日を夢見て生きる。 今日がいい日であっても、悪い日であっても。 だいたい、死んでしまえば自分のしてきた事なんて関係ない。 それなのに人は一生懸命生きる。 輪廻転生という言葉がある。 仮にそれが本当だとしても、前世のことは覚えていない。 やはり、“今”している事はムダなのか。 ただの人間のエゴなのか。 「あれがしたい。」「将来あれになりたい。」 それもまたエゴだ。 死んでしまえば、それはただの過去の出来事。 人は、生を受け、死に終わるものだから。 では、“夢”をもたない人はなぜ生きるのだろうか? なんとなく? 死にたくはない? 生きてるんだから生きる? でも、俺は死んでも構わないと思ってる。 夢はない。 生きる意味を見出せない。 死んでもいいが、自ら死のうとは思わない。 わざわざ死ぬ必要性もない。 ただ、なにか事故などに巻き込まれて死ぬのなら、それはそれだ。 ナイフ持った犯人がいたら、果敢に立ち向かって死ぬ。 そんな程度だ。 このまま生きてどうなる? 何もせずにいきる? それもまた意味がない。 できたら誰か僕を見てください。 本当の僕を。 もし神様がいるのなら、たぶん不公平なヤツだ。 例えるなら、生まれてまもなく死んでいく赤ん坊もいれば、100年生きて最後に笑って死ぬやつもいる。 “天才”と呼ばれる人間、“バカ”と呼ばれる人間。 モテるヤツ、モテないヤツ。 考えればキリがない。 神様はなにがしたい? 空から俺たちを見下ろして笑ってる? 差別は必ずある。 「差別をなくす」 なんていうのは奇麗事だ。 現に差別は無くならない。 これからも ずっと。 神様がそうしている限り。 ここで最初の議題に戻る。 俺は何のために生を受けた? エジソンやアインシュタインみたいに天才ではない。 未来に過去の人間として写る人間じゃない。 他人はもちろん、身内ですら“先祖”と呼ぶものの、実際何も俺について知らない。 俺はただの“今”という社会の歯車の一部なのだろうか? いや、あってもなくてもいいような存在だ。 そう思うと、どうでもいいような気になる。 どうせ生きてるんだ。 後世に名前が残るような事がしたい。 たとえ、それがいい意味であっても、悪い意味であっても。 そうする事で、自分の“生”について、少しだけ意味が持てるような気がするから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2003年12月19日 00時32分46秒
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