テーマ:ブランドシティ奈良(51)
カテゴリ:「ならまち」を考える
以前、中街道の「上村(井田)邸」を紹介しました。その後、少し前に上村家が購入した、西隣の二軒分の敷地ともども売却されたことがわかりました。おそらくマンションなどが建てられるのではないかといわれていますが、町家そのものがどうなるのかはまだよく判りません。今回はその周辺をあらためて紹介したいと思います。
まず、寺林の通りと中街道の四つ角から南へ向かいます。左にあるのが、もと「なかにし旅館」の建物。
その中西さんが新しく建てられたのがこのお家です。奈良らしくてイイですね。
もと旅館の方はこんな感じ。ちゃんと防火用の袖壁が突き出ているし、虫籠窓も美しい。
「なかにし」さんの側から見るとこんな感じで、旧上村(井田)邸、田村眼科医院と続きます。
この2枚が、旧上村(井田)邸の表構えです。太い格子が、奈良町ならではの形ですね。
お隣の「田村眼科医院」の建物も古い医院の建物として貴重な存在だと思います。今は、主として向いの新しい建物で診療されています。 二軒とも大きさが違いますが袖壁がついています。
その少し先にある「寺田邸」も小ぶりですが美しいお宅です。右に見えるのは、町家ではなくて景観形成のガイドラインに沿ってデザインされた「賃貸マンション」です。表からは町家に見えますが、中はエレベーターのついたマンション。その向いは、前に紹介した製墨の松寿堂さん。
さて、井田康子先生の生前に、通院や介護など車の出入りの便をということで、宅地の裏側に隣接して、寺林通り側に面した二軒を買収されたのだそうです。実は、上村邸には裏に、かなり大きな畑地が二筆あり、東城戸の大国社(町会所)と接していましたが、さらにその西側に敷地が広がったことになります。次にそちらを確認してみます。
まず中街道から西側を見たところです。寺林通りの北側に、少し傷んでいますが美しい町家が二軒並んでいます。
それを正面から見たところ。ちょうど大国主命神社(東城戸町会所)の向い側です。餅飯殿の和菓子店「萬々堂」さんの持ち物だそうで、以前は社宅のように使われていたとか。
さて、その大国主命神社の西側と南側に「旧上村(井田)邸」の敷地が広がります。大国主命神社の社殿や、町会所の建物が塀越しに見えています。
左手が大国主命神社の敷地、そして地道のままでスロープの手前までが一軒分の敷地、右手の舗装された部分は、もう一軒ずっと奥まで細長い賃貸駐車場でした。 そして、奥に見える大きな木ともう一本、その手前のスロープなどの広い土地が、もともと上村(井田)邸に附属した畑地だったそうです。 ともかく、これだけのまとまった広い土地が、町家の敷地以外にあるようですし、なんとか登録有形文化財の「家屋部分」には手をつけずに「開発」ができるのではないかというのが希望的な見方です。購入されたのが、近くで事業をされている方だということも漏れ聞いていますし、これだけの敷地や建物を奈良町に相応しい方法でうまく活用していただきたいものです。 町家についても単に「保存」というだけではなしに、その魅力的な活用の方法も考えていく必要はありそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.06.25 18:36:13
コメント(0) | コメントを書く
[「ならまち」を考える] カテゴリの最新記事
|
|