中将姫所縁の寺にこんな方が
「奈良町小寺巡礼」に参加しました。奈良まほろばソムリエの松本さん( @yumeyamato )は、奈良のあちこちを案内するツアーを主催されています。8月の最終の土日(27日、28日)には、奈良町の南西部(南風呂、南城戸、鳴川、木辻あたり)に点在する、比較的地味なお寺10ヶ所あまりをめぐるツアーを開催していただきました。ツアーの全体については、28日に参加された奈良倶楽部さんのブログで紹介されていますので、そちらの方をごらんいただくのが良いかと思います。近くに住んで、普段前を通ったりはしていても、境内やお堂の中に入る機会はめったにありませんので、本当に良い機会となりました。観光寺院ではないお寺に、事前のコンタクトをとっていただいた松本さんのご苦労に感謝したいと思います。 中将姫所縁のお寺が多いのですが。中将姫が開いた最初の庵という「安養寺」、生誕の地で産湯の井戸もある「誕生寺」、父藤原豊成卿の古墳がある尼寺「高林寺」、父娘の墓や姫が継子いじめにあった話に出てくる「雪責めの松」や突き落とされた崖があるという「徳融寺」など、もと藤原豊成卿の屋敷があったという一帯には、中将姫所縁のお寺が並んでいます。ただ高林寺の前住職、珠慶尼さまの思いとしては「継子いじめ」を芝居などで面白おかしく強調されるのは、中将姫(法如尼)にとっても本意ではなかろうというお話でした。 さて、最後にお邪魔した徳融寺さんでは、赤ん坊をだいた子安観音や極彩色のお地蔵さまなど、本来のお寺の仏さまの他に目についたのが、この石像でした。 「このオジサン、いったい何者?」というところですが、御霊神社近くの薬師堂町の出身で、のちに「きたまち」に「長慶橋」や「長慶寺」を設置したという「吉村長慶」氏の石像なのだそうです。で、ちょっと角度が難しくて見にくいのですが、こちらの写真2枚もこの方が作られたもの。 大日如来像と、世界二聖を揺すり起こす吉村長慶なのだそうです。ここは案内板を読んでいただきましょう。 226事件の後の昭和12年に、「軍馬のいななきはすなわち国を亡ぼす」という文言を刻んだというのは、やはりそれだけの世界観を持った人物だったのでしょう。近年、吉村長慶については「宇宙菴 吉村長慶」という評伝が刊行され、奈良が生んだ「奇豪」として知られるようになってきているようです。キリストと釈迦を揺すり起こして、この世の乱れに対するように促すというのは、まさに奇豪の発想と言うしかないように思われます。