2007/07/12(木)08:22
私の大好きなおじいちゃん
今日は、私の大好きなおじいちゃんの命日
92歳で亡くなって3年
おじいちゃんの最期に看護をしていた時を思い出し
おじいちゃんとの思い出が蘇る。。。
おじいちゃん自身も100歳までは生きると願い信じてたように
バカな話だけど・・・
おじいちゃんは死なないと想ってたよ
私が産まれた時から一つ屋根に暮らし
私に大きな影響を与えてくれた
おじいちゃんは、明治時代福山の農家に生まれ
幼い頃に、母親は離縁され
母親はその後、ブラジルに移民し一族を築き
父親は、スペイン風邪で死亡し
祖父に育てられたと聞いた。
だから、両親が離婚した私や姉妹をとても愛し育ててくれました
家族を愛し
新聞記者として一生を終え
大学の教授をしていたことや
中日球団の代表をしていたこともあり
日本の野球界に初めてアメリカ大リーガーを呼んだ。
詩人のサトウ八チローさんに
「中日代表のお主はどこが気に入った
からだちいさいが のぞみはでかい
グサリとつきさす 言葉も愉快
きらいな奴には 横っちょむくが
すきな人には 夜をあかす
味方半分 敵また半分
そいつを胸に よくたたきこみ
がばりがばりと この世をわたる
とにかくたのしき 存在じゃ」
と、詩われた。
私は、この詩を詩われた、おじいちゃんの絶頂期は知らない
未だに、その頃のおじいちゃんのファンだった人が
私が孫だと知ると声を掛けてくれることがあったりして
誇りに想う気持ちと大好きなおじいちゃんが愛されていたことがうれしい
そして、おじいちゃんの生きた印は
私の魂の中にきっと刻まれていると信じて
今日は
実家に帰り、お仏壇をキレイにして
お花を供えて
おじいちゃんの愛した家族みんなで供養するわね
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