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2023/10/18(水)07:31

1998-1999 日本代表(中西永輔サイン入り)

サッカーユニフォーム(日本代表)(11)

Jリーグ開幕でサッカーに興味を持ち始めた私が初めて日本代表の試合をテレビで観たのは、1993年に行われたアメリカワールドカップアジア地区最終予選。 それまでワールドカップ予選やオリンピック予選で一度も勝利したことがなかった(と言われても正直ピンときてませんでしたが)韓国戦の勝利に歓喜し、後に「ドーハの悲劇」と語り継がれることになるイラク戦であと一歩のところで突き落とされ、アジアの厳しさ、そしてサッカーの面白さを知ったのでした。 ドーハの悲劇後の日本は、28年ぶり(と言われてもこれもピンときてませんでしたが)のオリンピックとなる1996年のアトランタオリンピックに出場し、さらに2002年ワールドカップの日韓共催が決定したことで、1998年フランスワールドカップへの出場の期待が否が応でも高まっていました。 私が日本代表の試合を初めて生観戦したのは、その真っ只中の1997年6月22日、国立競技場で行われたフランスワールドカップアジア地区一次予選のマカオ戦(カズのダブルハットトリックや中田の2ゴールを含む10-0で日本の勝ち)。 当時の職場が新宿で、仕事帰りにふらっと国立競技場に寄ってみたら、当日券が買えたので観てみたという感じでした。 それに味をしめて、3日後の6月25日に同じく国立競技場で開催されたネパール戦も当日券で観戦しています(カズの2ゴールを含む 3-0で日本の勝ち)。 さすがに最終予選になるとそんな簡単にはチケットが手に入らず、ネット販売などなかった時代、始発でぴあの店頭に並んで取れたのは最終予選の第1戦、9月7日の国立競技場でのウズベキスタン戦のみでした(中西永輔がA代表デビュー!カズの4ゴールを含む6-3で日本の勝ち)。 この最終予選観戦に当たり、初めて日本代表のユニフォームが欲しくなり、買おうか迷いました。 街のスポーツショップに1〜2枚しか置かれていなかったadidasの代表ユニフォーム。 確か11,000円だったかと思います。 迷っているうちに売り切れてしまい、買えずじまいでした。 その後、ジェットコースターのように波乱に満ちた日本の最終予選は、ジョホールバルの歓喜として語り継がれているイランとのプレーオフを制し、悲願のワールドカップ初出場の切符を掴んで終わりました。 そして私はフランスへ飛ぶことを決意します。 せっかく現地で応援するならと初めて買った日本代表のユニフォームが、このasicsのユニフォームでした。 このユニフォームも発売開始からほんの数日で店頭からなくなってしまった記憶があります。 私も何店舗ものスポーツショップに在庫の問合せをして、やっと手に入れたのでした。 でも、なにせ初めてのワールドカップでしたので、現地フランスに着いてもはしゃぎ方が分かりませんでした。 今なら世界中のサッカーファンとの交流を楽しむために、試合のない日でもユニフォームを着て出歩いていますが、当時は日本の試合のある日にしか着ていませんでした。 今思えば、もったいない話です。 サインは元祖ミスタージェフ、中西永輔さんからいただいたもので、フランスワールドカップの時の背番号19番を添えて書いてもらいました。 フランスワールドカップにおける日本代表で、当時ジェフに所属していたのは永輔一人だけ(城は前年に横浜マリノスへ移籍。)。 永輔を応援しにフランスに行ったと言っても過言ではないです。 しかし、日本代表が史上初めてワールドカップの舞台に立った1998年6月14日、トゥールーズのスタジアムには文字が流れるだけの電光掲示板しかなく、ネットも携帯電話も普及していなかった当時、スタジアムにいた私にはスタメンが誰だか選手入場まで確認のしようがありませんでした。 不安と期待が入り混じる中、ピッチに現れた日本代表に背番号19番を見つけた時、嬉しかったのと同時に、めちゃくちゃ誇らしかったのを覚えています。 From my vault: asics 1998-1999 Japan  Autographed by NAKANISHI Eisuke, a formar Japan international, played for JEF United from 1992 to 2003. #Japan #jfa #daihyo #jefunited #JLeague #footballjersey #footballshirt #soccerjersey #soccershirt #asics

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