楽しい時、人は暴力的にならない
「楽しい時、人は暴力的にならない」 「楽しい時、人は暴力的にならない」と書かれたチラシを目にしたのは、当時住んでいた市の男女共同参画センターだ。その言葉は私の心を大きく揺り動かした。なぜなら「楽しい=非暴力」が私には全く理解できなかったからだ。そして、自分なりの答えに辿り着きたくて、アンディ・ヒクソン氏の“非暴力アクション・ワークショップ ファシリテーター養成講座”を受講した。 受講期間の一年間で、私の心は目覚しく回復した。回復という言葉は好きではないが、アンディや通訳の青木理恵子さん、そして共に受講した仲間達と、とても心地良い時間を過ごせたことで、元来の私らしさが取り戻されて行くのを自分でもありありと感じられたのだ。この“心地良い感覚”は懐かしい感覚でもある。悩みに翻弄され、もがけばもがくほど自分を袋小路に追い込んでいった日々。そこに、私がかつて持っていた「楽しむ力」「人と関わる力」「恐れずに内面を表現する力」を思い出させてくれたのだ。 身体を動かし、ゲームやアート、演劇などを通して、普段意識しない五感を働かせながら、抑圧や怒りとは何かについて仲間達と一緒に考える機会を得た。そこでは何を言っても誰にも非難されないばかりか、答えはない。アンディは全く指示や誘導をしない。答えは自分自身の心の中にある。 私はあのタイミングでアンディや仲間達に出会えていなければ、今こうして大学には通っていない。あの時、自分を自由に表現し、心を解きほぐし仲間と心地良く関わり合えたからこそ、新しい一歩を踏み出せたのだ。三年後、保健師として地域の方々と触れ合ってゆく折には私の体験を活かし、社会的弱者の心の機微に気付ける援助者でありたい。また、かつての私のように出口を探しつつも袋小路に追い込まれているその方々に「自分が本来持っている力」を思い出してもらえたならとても嬉しい。この社会にはまだまだ暴力や抑圧が横行している。自分のエネルギーが低い時は、引きこもったり心を閉ざして自分自身を慈しんであげればよい。だが、エネルギーが少し上向きになってきたら、自分一人で何とかしようと思わずに、誰かに「助けて!」「教えて!」と声をあげられる環境がその人の傍に在ればいいなと思う。母親を救出することで、その子ども達も救われる。そして、幸せな子ども時代を過ごした大人は、決して暴力的・抑圧的にはならないと私は信じる。人は人によって傷つけられる。そしてまた、人によってのみ、慰められるのだ。 現在、アンディのワークショップに一年間通ったドーンセンター(大阪女性総合センター)の機能が停止されようとしている。私にとってドーンセンターで過ごした時間や仲間、本や劇、映画やワークショップなどは、人生の分岐点に於いて大きな支えとなった。一流の女性表現者に私達を触れさせてくれた貴重な「場」を存続させて欲しい。***********************************↑上記は、NPO法人女性と子どものエンパワメント関西のニューズレターに載せていただけるようになりました、私のエッセイです(*^-^*)