最終回
1982年(昭和57年)10月4日にスタートし、平日の12:00からフジテレビ系列で放送されていた『森田一義アワー 笑っていいとも!』が今日の8054回目で最終回を迎えた。最終回のオープニングは、特大号でお馴染みだった「タモリ牧師の説教」。「今朝、近所の人に見送られ『サヨナラ、ありがとう』と言われて、『引退するブルートレインはこんな感じかな』と」「番組がはじまった1982年は500円硬貨が発行された。今は亡きテレフォンカードも発売された。私もさっき知った。プロデューサーに聞いた」「それから747ジャンボが今日で最後の飛行。さっきニュースでやってました」「一番の思い出は青汁、お笑いやる気しません。ツッコミもやりたくないから、ボケられると頭に来ます」などと約4分間しゃべり、「『いいとも!』最終回、行ってもいいかな?」とまとめた。2000年4月24日放送分を最後に、タモリが特大号以外では『ウキウキWatching』を歌う事はなかったが、お昼最後に熱唱した。最後のテレフォンショッキングは、ビートたけし。紋付き袴姿で登場し、表彰状を読み上げる。 じょうひょう……あ、表彰状、タモリ殿。長らく『笑っていいとも!』の司会を務めてきたタモリさんに、私から表彰状を贈りたいと思います。ちなみにこの表彰状は、すべてゴーストライターが書いたものです。私とは一切、関係のないことをご了承ください。本日は、32年間続いた国民的長寿番組『笑っていいとも!』の最終回という晴れの日に、社会的人気映画監督であり、高額納税者タレントでもあり、さらに総理大臣にしたい男5年連続ナンバーワン、上司にしたい男3年連続ナンバーワンという、人気と実力を兼ね備えた超一流タレントである私を呼んでいただき、誠にありがとうございます。 私は、『笑っていいとも!』で1983年2月、理屈ばっかり言っていた田中康夫が気に入らず、生放送中に乱入し、首を締め上げた。その結果、翌日のスポーツ新聞に「たけし、心身症」と書かれたことは、今となってはいい思い出です。 いいとも青年隊を忘れるわけにはいきません。かつて女を騙し、金をせしめ、恐喝で訴えられたH賀研二さん、パチンコでマンションを買ったといばっていたK保田篤さん、未だ『世界(ふしぎ)発見』でしか姿を見ることのないN村真さん、いいとも青年隊卒業後、ホームレスになったK田健作さん、そしてまったく売れなかった、萩本欽一さんのところのあさりど、などなど、数々の一流タレントを輩出したことを忘れてはいけません。 そして、なんといってもこの番組の名物コーナーであるテレホンショッキング、友達を紹介するという名のもと、いきなり電話をして、出演をお願いするという斬新な企画でありました。しかしながら、女優の矢田亜希子さんが、大竹しのぶさんを友達として紹介した時、思わず「はじめまして」と言ったその日、それを聞いた時、私はショックのあまり耳が聞こえなくなりました。そしてまた、得意の作曲活動を諦めなければいけない事態に陥ってしまいました。改めて芸能界というのは、ヤラセの世界だなあと痛感した次第でございます。 そして、『笑っていいとも!』を語る上で、32年間の間、初めて新宿に来た田舎者を相手に何もやらず、間抜けな芸人に進行を任せてきたタモリさんに触れないわけにはいきません。かつてあなたは、ヘルスの呼び込み、オレオレ詐欺の出し子、パチンコ屋のサクラ、フィリピン人との偽装結婚の斡旋などを経て、芸能界に入り、イグアナの形態模写、四カ国語麻雀、意味不明なハナモゲラなどの卓越した芸で、一部の似非インテリの集団から熱狂的な支持を受け、あれよあれよという間に、国民的人気番組の司会者まで上りつめました。しかし、そんな『笑っていいとも!』も、今日をもって終わってしまうのかと思うと、私としては残念でありません。ただ明日からは、O倉智昭さんの『被っていいとも!』という番組が始まると知った時、私はその時思わず、聞こえなかった耳が回復し、今では聞こえるようになりました。新垣さんとの一度壊れた友情も復活し、今では2人で元気に作曲活動に勤しんでおります。ですからタモリさんも、なんの心配もすることなく、二流とも三流ともつかない芸人しか出ないといわれている『タモリ倶楽部』に全精力を注いで、頑張っていただきたい!2014年3月31日 『A女E女』復活を望む会会長・イジリー北野読み終えた後、大量の目録を渡しはじめる。その内容は、青山葬儀場割引券、紙おむつ一年分、ゲートボール高級スティック、都バス無料券、3D入れ歯交換券、多磨霊園永代供養券。隠居老人を思わせる、たけしらしいブラックジョークだ。タモリが「昔はマネージャーがいい加減で、熱があって倒れそうになっていても、『現場行って倒れましょう』って言う」と話すと、「マネージャーに『現場で倒れればギャラが半分出るから、そっちで倒れよう』って背負おうとするんだよ」とビートたけしがと呼応。当時はディレクターは威張っていて怒鳴っていたと語った。「笑っていいともが終わった後は仕事のペースをどうするの?」と聞かれたタモリは「どうしようかと思い心配している」と語り、「休日は朝の歯を磨く前からビールを飲むんだけど、これから毎日になっちゃうから、7月くらいに死ぬんじゃないか」と話した。ビートたけしが「以前、正月の生中継番組でおじいさんとおばあさんとアナウンサーが温泉に入っている間に温泉の栓を抜いてしまったので、最終的にうつ伏せになりながら中継していた」と語り、「今日は夜の8時から『笑っていいとも!グランドフィナーレ 感謝の超特大号』を放送するがフジテレビから何か貰えるのか?」と質問すると、タモリは「何も貰えないと思う」と語った。その後、「前回は黒柳徹子が登場したが、きちんと時間を守ってくれた」と語った。大橋巨泉とタモリが以前、廊下ですれ違った時「おいタモリ、出てやるよ」と言われたと語り、ひどいと話をした。その後、ビートたけしは長いこと一緒に仕事をしていたが、いつも大橋巨泉に騙されていたと語った。X/100アンケートは、「宝くじで10万円以上当たった人」。1人と予想するが、結果は5人。ちなみに100万以上当たった人が1人だった。そして、通常なら翌日のゲスト紹介だが、最後にたけしが生野陽子アナに「これ明日の友達」とメモを渡す。「どんな番組になるか知らないけど、一応呼んじゃおう」と電話をかけた相手は、明石家さんまだった。たけしから「佐村河内ですけど」とボケられたさんまは、しばし沈黙したあと、思い出したように「ああどうも、新垣です」とボケ返す。さらにタモリから「電話でカチカチ言ってるのは歯か?」、たけしから「また違う女引っぱり込んでるんじゃないの?」と突っ込まれまくりのさんま。タモリから「明日大丈夫?」と聞かれたさんまは、「大丈夫よ」となぜか快諾。たけしが「朝8時から」と言われたが、さんまは気にせず「いいとも!」と宣言して電話を切った。たけしは、「(さんまは)寝ぼけてるね。普段はもっと喋るもん」、タモリも「寝起きが極端に悪い。朝に電話すると『あ~』とかしか言ってない」と同意。こうして、テレフォンショッキングは終わった。CM明けのコーナーは、『曜日対抗いいともCUP FINAL』。これが昼放送の最終コーナーとなる。今年3カ月間の決着をつけるために、ここで火曜の中居正広、水曜の太田光、木曜の笑福亭鶴瓶、金曜の関根勤と各曜日のリーダーが急きょ登場。月曜の香取慎吾を合わせて、空気入れ競争が行われた結果、金曜日が優勝し、特製のタモリカレッジリングが贈られた。エンディングで生野陽子アナが「同一司会者による生放送バラエティ番組の最多エピソード数」がギネス世界記録に認定されたことを発表すると、スタジオは歓喜の渦に。ギネス認定員が現れ、タモリに今度は本物の賞状が渡された。さらに、『笑っていいとも!』の番組も「生放送最多回数世界最高記録」でギネス認定。プロデューサーなどのスタッフ6名が登壇する華々しいフィナーレとなった。そして、タモリお昼最後の言葉は、含み笑いしながら「それじゃまた明日も見てくれるかな」といつも通りに番組を締めた。