2013/07/29(月)05:49
臺灣再次再次 ~第三天 我會跨過渡船到島上!~
あ
言い忘れてましたが
やっぱこの旅行記は
平日限定らしいです(・_・;)
っつーコトで
蓮池譚と85大楼見学の後は
お待ちかねのランチです
しかも
高級ホテルの展望レストランで\(◎o◎)/
高雄寒軒国際大飯店 ハンシュェン・インターナショナル
(ガオシィュン ハンシュェングゥォジーダーファンディェン)40F
素晴らしい景色が
額縁の様な窓枠から一望できるレストラン
観海軒中餐庁(グァンハイシュェンヂョンツァンティン )
んぢゃ
いっただっきまぁ~すヽ(=´▽`=)ノ
あっさりして
それでいて深みのある
お上品なお味でございますm(__)m
特に
豚の角煮は絶品でございました
お腹を満たしたら
とある港に着きました
ここからフェリーに乗るって。。。(・_・;)
どう見ても
オラが村の渡し船の距離と変わんない対岸ぢゃねぇか
ところがドッコイ
この数のバイク・チャリが行き来する(@_@;)
そりゃ
フェリーぢゃないとねぇ。。。
潮風が爽やかだよ~o(*^▽^*)o
午前中に上った85大楼もよく見える
工業地帯の海って感じね
軍艦も停泊
確か軍港とか造船所もあるんだよねσ( ̄、 ̄=)
とかしている間
僅か10分足らずで対岸が見えてきた
旗津(チージン)
旗津風景区は高雄港西側の高雄市旗津区の旗津半島にあります。位置的に旗山の後ろ側にあったので、昔から旗後(旗后)と呼ばれており、船が往来している場所であることから、現在では旗津と呼ばれるようになりました。
旗津は砂洲になっていて、南北約11.3km、平均幅200mで、高雄市で最も古い海港です。旗津は、元々は台湾本島と繋がっていましたが、1967年に高雄港の第2港を作るため、半島の地形を切り離したため、旗津は独立した小島となりました。1984年には南東部に海底トンネルが完成し、高雄と旗津間の交通が良くなったため、旗津は観光地として発展を遂げるようになりました。現在では旗津は海鮮料理、フェリーや歴史・人文古跡、史跡など、たくさんの観光客が訪れるエリアとなりました。
~遊々台北より~
フムフム
三輪車の派手さが
観光地だと物語ってるわ
船着き場のすぐ目の前に旗津の歴史を知る廟が建ってる
旗後天后宮(チーホウティェンホウゴン)
海の近くでは守り神「媽祖様」は欠かせません。その昔港が発展していたこの地域も、海賊や台風などの自然災害に悩まされていました。
1961年に建てられた旗後天后宮はまたの名を「旗津天后宮」「旗津媽祖廟」と呼ばれています。
高雄最古の廟として年中参拝客が絶えず、現在においても地元住民の篤い信仰の対象となっていて、1979年に国により三級古蹟(三級史跡)に指定されました。
~あこ調べ~
天井のように飾られた提燈
媽祖様だぁ
柱が黒いのは
線香の煤によるものだそうよ(・o・)
傷みを防ぐため
神殿の上に屋根が取り付けられたらしい
廟の奥には
日本統治時代の旗津の古い地図なんかもあって
日本人が経営する一般の商店もあったわ(@_@。
横浜中華街の媽祖廟にもいる
順風時将軍と
千里眼将軍がいて
奴らの正体がいったい何者なのか
蔡ちゃんに聞いた
将軍組(ジィァンジュンズー)
「将軍組」とは、関羽様の息子にあたる「関平(かんぺい)」と家来の「周倉(しゅうそう)」、
媽祖廟(まそびょう)で媽祖様を守る「順風耳(じゅんぷうじ)」と「千里眼(せんりがん)」の4人。
順風耳将軍は、いかなることも聞き分けられる「耳をもつ鬼神」(別名赤鬼)、
千里眼将軍は、千里先まで見渡せる「眼を持つ鬼神」(別名緑鬼)と呼ばれ親しまれている。
~蔡ちゃん説明より~
へぇぇぇぇぇぇw( ̄o ̄)w
アタシの知性に益々の磨きをかけながら
旗津のメインストリートを
のんびり散策する
(っつーかずっとしゃべりっ放し)
♪オンナ三人そろったら~
かしましいとは
。。。。。
このコトか(-_-;)
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