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前日で本当に申し訳ないですが、
「明日のラフマニノフの公演のピアノを変更できないですか」 とピアニストから言われたのですが… と、マネージメントのご担当から電話を受け、小心な自分は一瞬頭が白くなった。 「風邪で体調が優れず、気分をどうしても変えたい」 という事だった。 普段はシフトペダルも巧みに使い、あらゆる音量での色彩をコントロールする氏の場合、風邪で耳の通りが悪い時にはベヒシュタインは辛いのかもしれない… もし自分が逆の立場ならどうだろうか… と考え、自分を納得させた。 ラフマニノフ公演の翌日、ご本人から携帯に電話があった。 ショパンのコンサートの後、響の感じを上手く聴き取ることができず心がパニックになってしまい、果たしてこの状況でラフマニノフを?と考えてしまった。バッハやベートーベン、シューベルトだったら迷わずベヒシュタインでのパフォーマンを選んだが… という内容だった。 音量で言えば、ショパンが生きた1800年代初頭のピアノより、現代のベヒシュタインは圧倒的に力強いが、当時のプレイエルからも感じる響の透明度から生まれる重なった音の色彩の分離は、モダンピアノの中でベヒシュタインは秀でている、と自分は常に感じている。複数の音の重なりが生む響が混合した音の塊でなくなると、奏者にはネガティブにもポジティブにも作用すると思う。なので氏の言わんとしている事は充分理解できた。 ショパンも、 When I am not in the mood, I play on the Erard piano, where I find the ready tone easily. But when I am full of vigour and strong enough to find my very own tone – I need a Pleyel piano” 大意: 気分の優れない時は出来合いの音を容易に見つけられるエラールを弾く。しかし、自分らしい音を見つけるのに充分な気力と体力がある時、プレイエルが必要だ。 と言っていたというエピソードを思い出した。 次の仕事の機会を楽しみにしている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.02.27 23:21:30
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