テーマ:ひとりごと(15367)
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たぶんブログ開設以来、はじめてのネタを書きます。
お葬式について……です。 それといいますのも27日と28日の二日間、お葬式に行っていました。場所は、佐渡ヶ島です。母の実家です。おばあさんは数年前に亡くなり、今回はおじいさんも亡くなってしまったのです。家は、母の兄が数年前から継いでいます。つまり、これで僕たちは佐渡に行くことがなくなったわけです。別に、母の兄たちと仲が悪いわけではありませんが、やはり他人の家には気兼ねします。 佐渡については、今でもフト思うことがあります。小学生4年までは、夏休み、一ヶ月間ずっと佐渡で過ごしていて、僕も佐渡の暮らしを気に入っていましたし、おじいさんたちにも、僕は気に入られていました。口癖のように「佐渡の子になれ。今すぐ田んぼを半分やる」と言われていたのです。ちなみに、おじいさんと今、佐渡にいる母の兄は、実の親子ですが、折り合いが悪く、たぶんおじいさんは本気で言っていたはずです。 小学低学年のアダチコジヤ少年は悩みました。残れるものなら残りたいのですが、その歳で親と離れて暮らす決心がつかずに、ついに踏み切れませんでした。 小学五年からはサッカーが忙しくなり、ほとんど佐渡には行けず、いつの間にか佐渡と希薄になりましたが、それでもフト考えます。あの時、佐渡に残っていたら、どんな人生になっていただろう、と。 それは、ともかく今回のお葬式では驚くべきことが二つもありました。それを紹介します。 日曜日の深夜に亡くなり、火曜日がお通夜で、水曜日が告別式です。 親戚一同、ほとんど全員、東京にいますので、なかなかすぐに佐渡に行けません。 にもかかわらず、どうしたことか、月曜日に火葬してしまったのです。お葬式の前に火葬したのには驚きました。ですので、ほとんど全員、おじいさんと対面していないのです。親戚の1人が、そのことで文句を言ったら(普通、言いますが)、なんと、「佐渡ではこういう風習だ。東京なんぞにいるお前が悪い」と反撃されたそうです。 病院で死亡してますので、病死に疑いはありませんが、安手の推理作家などがこのことを聞けば、さっそく「佐渡殺人事件」なる作品を書き出しそうです。 そして、もう1つの驚きは、水曜日、9時から告別式がはじまり、坊さんが四人来て、お経を唱えだしてすぐに、お弁当が配られたのです。中身は、おにぎり二つと漬物と煮物です。「食べてください。食べてください」とせかしながら配っています。仕方ないので食べましたが、アレは何だったのでしょうか? 繰り返しますが、お経がはじまって、すぐです。南無南無やっている後ろでパクパク食べるのです。まったくもって奇妙なことです。親戚一同、不思議がっていましたが、誰もその正確な意味はしりません。 久しぶりに見た佐渡の景色は息を飲むほどに素晴らしかったですが、写真を撮る時間はありませんでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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