2010/02/05(金)20:53
学校に隠ぺいされた真実
すでに時効になった話。
今ここで書いても何も変わらない。
でも真実を伝えておかないといけないことがある。
ここから書くことは全て真実で、いつの間にか
隠ぺいされた出来事です。
私が高校時代、三年生になって残り一年
進学するか就職するかで周りが慌ただしい中、
私自身はまだ何も決まってなく、どうするかも
悩むわけでもなく、その時の「今」を充分楽しんでいた。
クラス替えになって、今まで話したことのない
人も増えて新たな気持ちで新学期を迎えた。
人見知りだった私は、なかなか仲良くなれない人達もいて
そのうちの一人の女の子が私の席の前に座っていた。
彼女とは普通に受け答えするくらいで、自分の話をしたり
学校以外で会っても話すことはなかった。
そんな彼女は、彼氏もいて卒業した後の
構成も考えてたみたいでその時しか
考えてなかった私にとっては大人に思えた。
私自身、学校には殆ど通わなかった。一年の頃から
出席日数ぎりぎりで進級していた。
理由は影で見え隠れするイジメの中で
目を伏せる先生達を見ているだけで嫌だったからだ。
実際、一年の時に仲良くなった殆どの人間が、無実の罪で
退学にさせられて、その仲間と外で会ってる方が
楽しかった。
その仲間を追いやった先生は、もの凄く嫌いで授業も
殆ど出席しないでいた。
そんな中、卒業する年ということで学校の一番、偉い人?
校長先生と一緒に昼食を食べるという変な行事があった。
それを仕切っていたのが生活指導の先生である
私の嫌いな先生だった。
メンツを保つためか学校に行かない私にも
きつく参加するよう言い寄ってきていた。
私的には昼食代が浮くのならという
気持ちの程度で何喰わない顔して参加した。
昼食は、お茶、パン、蕎麦と質素なもの。
それを食べて会話することもなく、退室して帰った。
それが数日間続いてるときに、私の座席の前に座っている
ちょっと大人な彼女が不安そうな顔をしていた。
まともに話したことのない彼女に理由を聞けるわけでもなく
私はその行事にも参加したし、学校にまた行かずに
外で仲間と遊んでいた。
行事も最終日、午後から出席日数が足らない授業が
あったので、その授業だけ参加するために
昼から学校に行った。
教室に入ると何故か慌ただしく女子が
落ち着かない感じだった。
私の前にいつも座っていた彼女がいない。
周りに聞いてみると、校長との会食のあと早退したらしい。
それだけだったら、別に大したことがないのだが
理由は蕎麦を食べてから具合が悪くなったらしく
運ばれるようにして帰ったらしい。
そう、彼女は蕎麦粉アレルギーだった。
女子が落ち着かない状態になってたのは、それを
知っていた子で食べるのを止めてたらしいが、
その生活指導の先生が
メンツのためか、校長の前だからと
無理矢理、食べさせたらしい。
その次の日。
彼女の机の上には花が一輪飾られていた。
私より大人だった彼女の夢は、たった一人の大人の
メンツによって全て失われた。
夢だけじゃなく全て。
もう、声も聞こえない。
今どんな大人になったのかもわかるはずがない。
その時の私は悔しさでいっぱいだった。
仲が良かったわけではないが、もっと沢山
話すことはできたはずだった。
人見知りだった私が陳腐な壁を取り除いていれば
彼女のことはもっと知ることが出来たはず。
そうすれば、その先生に対しても言うことができた。
元々、刃向かっていた私だからいくらでも言えた。
全て後の祭りであり、その先生からクラスの
みんなに話をしたいと言ってきたので私は退室した。
言い訳なんて聞きたくない。
それを聞いて彼女が帰ってくるはずもない。
そのとき、その先生を責めても同じで
ここに今、書いても何も変わらない。
ただ、一番不思議に思うことが
公にこの話がでなかったこと。
それから卒業するまで、この話は誰もしなかった。
実際、名前も覚える前にいなくなった彼女の存在だが
私の中では、ふとしたときに現れてくる。
特に卒業する前のこの時期になると思い出す。
一緒に卒業できたら…
どんな大人になってたのだろうか?
私自身、卒業後その子が抱いていた夢の欠片を
引き継いで生きている。
それが言葉であり、ここでその意志を尊重して書いている。
ここに書いた真実はもうすでに風化されていて
同級生と話をしたとしても、憶えてる人は
わずかかもしれない。
彼女の存在はずっと私の中で生き続けている。
それを絶やさないでいることが私の出来ることであり
こんなことしか出来ない悔しさが、いつも
この時期にやってくる。