明石家さんまさんに聞いてみないとね

2011/08/09(火)23:52

被爆地、長崎で小さい頃から見ていたものは。。

長崎に生まれて。。(22)

今日、原爆が落ちてから66年。 平和祈念式典を見ていると、もうその頃の 景色は殆どなくなっているだろうと思い眺めていた。 私が生まれ育った町はだいぶ変わっていった。 私が通っていた小、中学校は原爆を受けた学校で 一部は崩壊したものの修繕し、校舎として 卒業するまで、その姿のまま原爆の悲惨さを教えてくれていた。 学校から原爆中心地(落ちた場所)までは 3kmくらいしかなく、校舎には防空壕の跡も残ったままだった。 途中で途切れている校舎。 壁には原爆の時に出来た人の影。 原爆にも耐えた木造校舎。 整地すると出てくる人骨。 子供の頃にそれを体感してきた。 今も校舎の独特な香りは思い出せる。 しかし、その校舎も卒業してまもなく壊され 新校舎が建ってしまった。 私の思い出の場所であり、原爆を身近に感じさせてくれた あの場所は、今はもう跡形もない。 手前に写ってる建物が原爆を受けた校舎。 奥に写る小さい山の手前が原爆中心地になる。

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