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3.11被災地レポートその1

2011.06.06
XML
テーマ:地震情報(610)
被災地を訪れてひと月経とうとしている。

そのとき訪れたふじみつ商店には
少ないが物資を送ったり、電話して話を聞いたりしていた。

震災から三ヶ月経とうとしてるが
あれから、真実がメディアから流れることが
少なくなった。

訪れてからひと月経とうとしてることもあり
今の現実を知りたいために今日、また電話してみた。

直に行くことが出来ないのが心苦しく
迷惑とも思ったが、店主は快く話を聞かせてくれた。

これから書くことは被災地、現地の人の声です。

まだ距離的にも原発から離れてる方だから
段々と、最低限の生活だが出来るようになってきた。
しかし北に10キロ進むとまだ全壊の家や瓦礫がそのままだから
ボランティアもそっちの方に力を入れてくれたらと言っていた。

そう…まだ何も変わっていない。時が止まったままなのだ。

そして、つい1週間前に市から連絡があり
補助金?が振り込まれると連絡があったらしい。
まだ振り込まれていない。

私が訪れたお店は二階が残っていたために
半壊ということで50万は以前、手続きをし貰えたらしいが
その後、市から連絡があったのは被害を受けた
家に20万
、補助金ということらしい。

店主の口からは国からと言う声は一切聞かなかった。
その市からの補助金が国からということなのでは?
というくらいの感覚らしい。

まだ振り込まれてはいないが合計70万で何が出来るのか?
生活もあるし、お店の修理もまだ残っている。

原発に近い地域に住んでた人達は、原発からも
お金が出てるからまだ、マシな方かもしれないと言っていた。

そして義援金。

赤十字などの寄付したお金の話は
テレビやラジオでは聞くけど、その地域では
一切、話がきたことがないらしい。

今回の震災は大規模な範囲だったからしょうがないし
我々の手元に届くとしても微々たるものだろうと…

月日も経って漁師の人達も仕事に
戻りたい人達も多いらしいが、原発の放射能のおかげ
誰も買い手がいないということ。
再開まではまだまだ時間が掛かりそうだし、いつに
なるかも見当がつかないと言っていた。

今出来ることは、全壊した家や半壊した家の持ち主から
障子をや襖を貰ったりと、継ぎ接ぎだらけだけど
それで家としての形を保つことらしい。



70万で今後の見通しもないまま、過ごせというのは
余りにも酷すぎて、国からという言葉は一切聞かない
この現状は、国として機能してないのが良くわかる。

このまま大まかな感じで国が対応し続けるとなると
忘れ去られた地域が必ず生まれてくるように思う。

以前にも書かせてもらったが、義援金、補助金も
満足に届かない状態なのに、もうメディアでも
騒がなくなってきた。

私達はこのままでいいのだろうか?
募金した人達はそれで満足なのだろうか?

電話の最後に、店主の言葉にまた心を打たれ
申し訳ない気持ちになってしまった。
また時間を作って訪れようと思っている。


「いつでもまた遊びにいらしてくださいね」


行っても何も出来ない自分…わかってる。
しかし、この店主の言葉で救われた。
強すぎるこの言葉は何処まで届くだろうか…?






Last updated  2011.06.06 17:42:33
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2011.05.17
テーマ:地震情報(610)
今回、被災地を訪れて真実を伝えるために
つたない言葉と写真を並べ、書き留めたブログは
はたしてちゃんと伝わってるのかが不安だった。
今もこの気持ちは変わらない。

しかし、中には声をかけてくれたり人の優しさに触れ
正しかったとは言えないが、間違ってはいなかったと
思っている。

東京に戻ってきてから、気持ち的にも不安定だったに違いない。
それを影で支えてくれた人にも凄く感謝している。

突然、訪ねたにも関わらず、話を聞かせてくれた人達に
私は何をしてやれるのだろうか?

まだ答えは出ない。

でも、今日になって一つだけ確信出来たことがある。
世間一般的に言われているボランティアと称するものには
参加するつもりもないし、そのボランティアに
支援するつもりはない。

端から見るとそれが個人行動で現地に迷惑をかけると
思われるかもしれないが、私はそれが復興に近づく
第一歩だと確信を持つことが出来た。

その地域だけの問題じゃない。

今、日本という国自身が危機的状況なのだ。

そのためには与えられたものをこなすだけの行動は
今までとは何も変わらないままだと思う。

今できること、やれること。その枠組みさえも
外して良いのではないだろうか?

感情的に動く時があっても良いのではないのだろうか?

その感情を人にぶつけ迷惑をかけてはいけない。
しかし、人の優しさに触れ、それに甘え、それに対して
どういった形でも良いから恩返ししては良いのでは?

恩を仇で返すことは決してしてはいけない。

どうやったら良いか分からないまま立ち止まるよりは
何か一歩前に進むことが大事かもしれない。

今回、私が使った手法にはブログでありツイッターだったが
これを被災地の人達が、見るとは思わない。

実際会った年配の方達にツイッターやってとか
言えるはずもない。

だからまた現地に行って現地の声を聞いて
私が使える手法を使って橋渡しするのも一つの
手段かもしれないと思った。

これは私が言える立場ではないかもしれないが、何かを
してやりたいと思ってたり、別に出来ることはないけど
気になるのなら、現地に行ってみてください。

何もしてやれなくて当たり前。

過度な自粛が今、過疎化を急速に進めてる原因だと思います。

やってるお店も少ないけど、ちょっと離れたところでは
電車もバスも走ってるし、お店も普通に営業してます。

一度言って自分の心の位置を確かめてください。

観光気分でも構わないです。人がいなきゃ町は発展しません。
その場所に足を運ぶだけで良いのです。

これは現地の人達が望んでることでもあります。

被災地で営業して潤ってるところがあれば、その現地の人達も
うかうかしてられないと思って動き出すはずです。

国が何とかしてくれるという気持ちはもう捨てませんか?

二ヶ月経っても、瓦礫が山積みにされ、いつ壊れるか分からない
街並みを歩いてる人達は、もう諦めに近い感情を持っています。

それでも国にすがることしか出来ないのは
余りにも悲しすぎます。

だから、今回たまたま被害に遭わなかった私達が
動くべきではないのでしょうか?



今、動かないでいつ動きますか?






Last updated  2011.05.17 13:43:04
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2011.05.16
テーマ:地震情報(610)
福島から東京へ帰るために湾岸の
道路をずっと走ってきたが、震源地から
離れてくるにつれて、歩いてる人も多く
何事もなかった街並みに戻っていく。


今回、「何故福島へ?」と行く前に色んな人に聞かれた。

私自身も元々は「何故?」というだけだった。


何故?マスコミは同じ場所だけを報道するのか?

何故?原発の報道がここまでずさんなのか?

何故?大半の政治家は自分たちの政治生命しか考えてないのか?

何故?二ヶ月も経ってるのに進展がみえないのか?

何故?人達の関心はすぐに薄れていくのか?

etc...

沢山の「何故?」が震災後、ずっと私の心の中に根付いていた。

原発の危険性は誰もが分かっていたのに
マスコミからも詳しい情報が聞こえない。

報道は全て被災地で酷かったところ。

悪い言い方かもしれないけど、マスコミも一番酷いところに
行けば沢山、情報も映像も撮れるから一回行けばいいだろう。
そうゆう風に思えてしょうがなかった。

他にも被災地は沢山あって、横並びの情報だけが
マスコミの間で飛び交っていて、もっと知らないといけない
情報を誰もが求めなかった。
それがテレビを観ていた視聴者も同じ気分になっていたと思う。

全てが共感出来てると思うからこそ、簡単に
「頑張ろう」「一つになろう」「一人じゃない」
そうゆう言葉が生まれた気がする。

日本中みんなの気持ちが横並びになるのは凄く危険に思えた。
横並びになれば、例え虚偽の情報でもみんなが
共有したことであれば問題ない。
隣の人も言ってたから大丈夫。
その気持ちが今回の津波の被害を受け、助からなかった
人達も多かったはず。
しかしこれは私もニュースで見た情報に過ぎない。

原発の安全神話も同じことで、誰もが安全だと信じていた。
そして誰もが、今回の事故で学者になった。

私は、原子力の勉強もしたことがないし、地震のことも
深く勉強したことはない。もちろん津波もそうだ。
それなのにネット、ツイッター、etc..で、違うと思っていることを
発言することは出来るはずもない。

学もない私が出来ることと言えば現地に言ってそのままを
表現することかもと思った。

ボランティアというのも情報が交錯しすぎていて、現場で
必要なものが何なのか分からなくなっていた。

人に言われて行動するのであれば、今までと変わらない。
このまま国の良いなりになるしかない。

それで良いとは思えなかった。

端から見ればボランティアにも参加せずに行くなんて
観光気分と一緒で不謹慎だと思うかもしれない。

それでも構わなかった。

不謹慎と思われても、偽善者と思われても構わない。
そのくらいだったら背負います。

現地ではもっと、比較にならないくらいの風評被害と
災害で苦しんでる人達がいる。

テレビで有名人が支援に行き、逆に元気をもらったという言葉は
メディアを使って流してはいけない言葉だ。

その言葉のせいでテレビを見てる人達は、もうみんな元気なんだと
錯覚するに違いない。そう思ってなくても脳裏に焼き付く。

実際に今回一緒に同行してくれた知人も
私のワガママに付き合わせた形で本当に悪いと思ってる。

ちょうど現地に着いたときにメルトダウンの報道が流れ
これから原発に近づいて良いのかと、凄く不安だったと思う。

そんな状態で私が出来ることは安物のガイガーカウンターを一つは
車につけて、その人にマスクと一緒に持たせることくらいしか出来なかった。

私は過去に経済産業省から直接嘘をつかれ被害を受けた経験がある。
だからマスコミで流れている報道は一切信じなかった。
放射能もドイツの予測データを見ながら移動すれば大丈夫だと思い
マスクも何も着けないままで過ごした。

もし仮に私が被ばくしたとしたら、国に謝ろう。
そして後は自己責任で過ごそう。国に頼るつもりはない。

最初は不安だらけの知人も帰りは何かが変わったと言ってくれた。
最後には30km範囲のところまでと言ってくれたが、私自身、
これ以上、道連れにしてはいけないと思い、40kmくらいで引き返した。

一人だったら行けるところまで行ったと思う。

今回、私が出来た事は些細なことかもしれない。

しかしこんな私に協力してくれた知人。

話を聞かせてくれた磯原シーサイドホテルの方。

ふじみつ商店の店主。

小名浜港にいた猫。

テレビで活躍してるのに、こんな見ず知らずの私の
ツイートをリツィートしてくれた
ほっしゃん。さん。加護ちゃん。森下千里さん。
(私が確認出来た方だけなのでもし気づかなかったらごめんなさい)

漫画家の北崎拓さん。

そしてツイッターで話しかけてくれた方々。

本当に感謝致します。

月並みの言葉で大変申し訳ありませんが
ありがとうございました。

そして稚拙な文章を最後まで読んでくれた方々にも
心から感謝致します。

SH3F0230.JPG

吹く風を勿来の関と思えども 道もせに散る山桜かな

                            源義家






Last updated  2011.05.17 01:18:09
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テーマ:地震情報(610)
2011年5月13日。北茨城。晴れ。

夜中に見た北茨城のICチェンジを下りて
すぐの場所を帰りに通ることになった。

SH3F0239.JPG

前日は暗闇で分からなかったが
充分に被災地だった。

海の守護神、弟橘姫神社がある場所に
車を停めてその周りを見渡した。

神は我々を見放したのか?

そう思うくらいの悲惨な光景は、テレビでは
見たことがなかった。

SH3F0234.JPG

被害の規模は小さいかもしれない。
この辺りになると人も車も多くなる。

しかし目に映る光景はあの震災の時から
時が止まっている。

SH3F0241.JPG

震災の時まで日本の技術は優れていたのでは?

震災当初の対応で海外に絶賛されたのでは?

その日本が二ヶ月経ってこの状態なのは何故か?

これも想定外のうち?

SH3F0242.JPG

神社のすぐ近くに民宿があったが、地震の被害で
ガラスが割れてたり、壁が割れ、ヒビが入った感じで
かろうじてまだその場所に建っていた。

また営業を再開することは出来たかもしれない。

しかしその民宿の人であろう二人が、自分たちの手で
金槌を使い窓枠から壊していた。

その姿を見てるといたたまれない気持ちになった。

自分たちが建てた民宿を、今回の震災で
不本意な気持ちのまま、自分たちで破壊する。

あまりにも辛すぎる光景だった。

SH3F0243.JPG

もちろんその姿を写真に納めることは出来ない。

真実を伝えないといけないという気持ちもあったが
私はジャーナリストでもなく、カメラマンでもないから
心が落ち着かないままシャッターを押すことは
出来なかった。






Last updated  2011.05.16 20:32:25
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テーマ:地震情報(610)
2011年5月13日。小名浜駅。曇り。

車を降りて周りを見渡す。
海が見えない地域でも被害は尋常じゃない。

本当に二ヶ月前の出来事だったのかと
思うくらい、まだ震災の傷跡が
そのまま残っている。

SH3F0219.JPG

元々か貨物専用の駅だったらしいが
もぬけの殻で、奥の線路では傾いた貨物列車を
関係者が取り囲んでいた。

そんなシーンを写真に納めることは、今まさに
悩んでる人達に失礼だと思いシャッターを
きることは出来なかった。

SH3F0221.JPG

しかし周りを見渡すだけで充分過ぎるほど
情報が伝わってくる。

360°何処を見ても無残な光景が広がっている。

SH3F0217.JPG

SH3F0218.JPG

SH3F0220.JPG

SH3F0228.JPG

SH3F0227.JPG

ここまでくると、もう言葉も出てこなかった。

もっと酷い被災地はある。

でもマスコミにも忘れられているこの町は
誰にも声をかけられない辛さ。
同情して欲しいというわけでは決してない。

ただ最低限のことを国であり行政が何かしら
やってくれたらと思ってる。

二ヶ月経っても壊れそうな建物の間を
壊れた歩道で歩くのはあまりにも無責任に感じる。

国民の安全を保証するのは誰なのか?

これも全て自己責任で行わないといけないのか?

この状況で気持ちを整理して行動に移せというのは
あまりにも酷すぎる。






Last updated  2011.05.16 17:39:21
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テーマ:地震情報(610)
2011年5月13日。小名浜。曇り。

小名浜港から見上げると一つの
建造物が目に入ってきた。

気になって登ってみると
いわきマリンタワーという所らしい。

SH3F0209.JPG

周りは公園になっていていわき市を
一望できる良いところだ。

しかし、今回の地震の影響で営業はしていなかった。

ここに来て、犬を連れて散歩してる人を
見かけたりと、普通の生活が垣間見えた。

SH3F0206.JPG

ただ放射能が流れてきてるかも?というだけで
地元以外の人達にはこの景色は届かない。

二ヶ月というのは傷を癒すのには短すぎて
人の記憶からなくすためには充分な時間なのだ。

マリンタワーを後にすると現実に引き戻される。

港沿いの通りから一本、内陸にある道路でも
この現実は変わらない。

SH3F0211.JPG

この通りになると港からちょっとだけ離れてるせいか
車の通りも気持ち程度だが多くなる。

しかし歩道は人が普通に歩ける状態ではない。

SH3F0214.JPG

道沿いにある建物もかなりの被害を受けている。
その中で、目に入ったものがこれだった。

SH3F0215修正.jpg

気づく人はいるだろうか?

細かい情報(個人情報)は手を入れさせてもらったが
それ以外は、何も手を加えてない。

この建物が危険と判断されたのは4月25日なのだ。

震災からその日まで、ずっと放置されたままだったと
いうことになる。
そして今も、この張り紙を貼っただけで二ヶ月経っている。

そんな街中で人は暮らさないといけない。

それを考えるだけで胸の奥が苦しくなった。
そして誰に対してかわからない怒りも、このときから
こみ上げてきたのも事実だ。
もちろん、何も出来ない自分に対してもだ。







Last updated  2011.05.16 14:58:46
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テーマ:地震情報(610)
2011年5月13日。小名浜港。曇り。

港の北へ車を走らせる。
元々の町を知らないから、これが真実かはわからないし
普段からそうゆう町かもしれない。

でも店を出てから歩いてる人を見かけない。
車も殆ど通っていない。

そう思ったところで目の前に無残な光景が現れた。

SH3F0195.JPG

二ヶ月経った今でも道路の一面を家が塞いでいる。
港の端まで来るとまた現れた。

SH3F0202.JPG

東京に戻ってきて分かったことだが
YouTubeでもこの道は掲載されていて、それは
いつ撮られてたものかちょっと確認出来なかったが
私が見た光景よりもひどかった。

これでも綺麗になった方だったのだ。

港の一番端に停め、車を降りると目の前には
また無残な光景が広がっている。

SH3F0200.JPG

下りた瞬間。猫の鳴き声が何処からともなく聞こえてきた。

猫の言葉が分かってるつもりはないが、子供の頃
飼っていたこともあり、その鳴き声がなんと言ってるか
分かった気がした。

私の経験上だとその泣き声は明らかにお腹が空いている。
私も声を出し、呼びかけてるとすぐに猫は寄ってきた。
お腹が空いてるだけじゃない。主がいなくなったのか
凄く寂しかったと言ってる気がするくらいの
悲痛な鳴き声だった。

私は東京から出発して入ったICで買ったお菓子を
その猫に渡した。

本来だったら人間には寄りつかない猫だったかもしれない。
でも私の存在を気にせずにあげたお菓子を夢中で食べていた。

そのころ地元の漁師と思われる人達が、港の様子を
見に来ていた。

二ヶ月経った今も途方に暮れている様だった。

ここに来る間に見てきた無残な光景を思い出すと
気軽に声をかけることも出来なかった。

足下でお菓子を食べ終わった猫が、その代わりに色々
教えてくれた気がした。

「ここには誰もいないよ。声かけてもみんな自分で
精一杯なんだ。行政もこの一言であとは放置状態なんだよ」

その猫が見せてくれたのがこれだった。

SH3F0199.JPG






Last updated  2011.05.16 13:44:44
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2011.05.15
テーマ:地震情報(610)
2011年5月13日。ふじみつ商店。曇り。

お店の店主が色んな事を聞かせてくれた。

一生懸命、目を見て話を聞いた。
途中、内容の残酷さに泣きそうになり目を
伏せたかったが必死で涙をこらえ、店主の
話をずっと聞いた。

これから書くことは店主から聞いたことを
一言一句間違えないよう、現状そのままを
伝えます。

私の記憶力のなさに曖昧な部分があったり
間違って捉えたことがあるかもしれないですが
ご了承ください。

マスコミでも流れてない話です。


「ここは原発から50kmの範囲に入る。しかし
避難勧告も出てないし、水道が通ったのが一ヶ月前、
電気もつい最近。何も情報が入ってこない。テレビでは
原発から30km以内での出来事、ここよりひどい
被災地しか流れない。


まだ30km以内で避難出来た人はいいよ。特に
漁業、農業は原発から何かしらの恩恵、交付金、補助金が
出ているから生活には困らないだろう。


自分たち商売人の所には一銭もお金は下りてこない。

親戚や友達が安全な場所でと言ってくるが、もし今後
50km範囲内が避難地域に指定されたとして、別の場所で
商売するにしても、ついてくるのは借金だけだ。


店の中には少ない商品。近くの農家から譲り受けたものや
店に残っていて被害を受けてない商品が並ぶ。

その商品を入れてる冷蔵庫は震災時に流されてなくなって
しまったから知人から譲り受けたという。

店で使ってた車。自分たちが私用で使ってた車。
計4台の車は全て流されて移動する手段もないらしい。


「ボランティア?どこに来てるの?」


店主の奥さんが口にしたこの言葉。

原発から近いというだけで、誰も怖がってこの地には
ボランティアさえも来ない
ということ。

震災後、自衛隊が活動していっただけである。
その自衛隊に敬意を表し、店の前に活躍の写真と
ありがとうと文字が書かれている。

その後、一ヶ月経ってやっと開通した水で店内を掃除し
通った電気で営業を再開した。

いつ、目の前にある小名浜港に魚があがってきて
その漁師が、買い物出来るようにと。

震災前と変わらない場所で、店の前に書かれてるように
「細々と営業中」なのである。

SH3F0193.JPG
ふじみつ商店

もしお店の場所を知りたい場合は、私にブログのコメント、もしくはツイッターでご連絡ください。

※店主の了解を得て写真、言葉を掲載させていただいています。






Last updated  2011.05.16 03:23:57
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テーマ:地震情報(610)
2011年5月13日。小名浜港。曇り。

福島へ入りすぐ小名浜港へ。

ここも同じように無残な景色が目に入ってくる。
でもそんな中で今までは見つけることが
出来なかった営業中の店を見つけた。

SH3F0192.JPG

店の前に立ち止まり、この佇まいを見て
涙が流れそうになった。

店の前に貼られている一言、一言が心に突き刺さる。

ここに来るまで人とは殆ど出会わず、すれ違う車も
凄く少なかったが、その謎もこの店の中に入って
お店の人の話を聞いてわかった。

店の中には、夫婦で営業していたお店らしく
その二人と、近所に住んでいる年配の人が
数人、テーブルを囲んで話していた。

店内の壁紙が時計を掛けている下の部分から
なくなっている。

聞くとその高さまで波が来たという。
このお店の二階に夫婦は住んでいて、難を
逃れたと言っていた。

また奇跡的な偶然が重なっていることも聞いた。

実際にそのお店の隣にはコンビニ?があったらしく
そのコンビニの写真も撮った。

SH3F0190.JPG

そしてすぐ近くの建物。

SH3F0194.JPG

このお店の向かいには大きな建物があり、本来は
漁師が捕ってきた魚を水揚げし、競りを行っていた
場所のようなところだ。

そこの真っ正面にあったのがこのお店で、波が
その建物が受けた分、お店への勢いが弱まり
並んでいる建物の中で、そのお店だけが残ったのだ。


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Last updated  2011.05.16 01:24:34
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テーマ:地震情報(610)
2011年5月13日。六角堂。曇り。

大津港で海に向かって黙祷をしたあと
北へ向かった。

北茨城にはいくつかの名所があり、北へ
車を走らせていると六角堂の看板が見えた。

ちょっと立ち寄ろうと思い、入り口へ向かうと
張り紙が。

「今回の震災と津波で六角堂は流されました」

六角堂がどういったところか知らなかったけど
調べてみると、環境庁より「残したい日本の音風景100選」として
認定された場所だったらしい。

今回の震災でどれだけの文化財や遺跡が流されたのかと
考えるとまた胸が痛くなった。

SH3F0183.JPG

すぐ裏手にある「黄門の井戸」は何も被害は
なく健在だったのがまた皮肉的だった。

観光地のひとつらしく周りには温泉やホテルもあったが
殆どが震災のために営業停止の張り紙が出されていた。

そして海沿いを走り、福島へ。

工場地帯に入ると瓦礫を収集してる場所があったり
段々とまた震災の爪痕が見えてきた。

工場地帯の通りはたまにトラックが走ってるくらいで
それ以外は人さえも歩いていない。

途中から路肩が殆ど跡形もなく歩けない状態になっていて
道路も液状化のせいなのか、砂が敷き詰めた道路や
まだ水道管が修復されてないのか、水たまりが多く
危険や、注意の標識もなく、自己判断で
走るしかなかった。

SH3F0187.JPG

道路や歩道はどこの管轄か分からないが
あれから二ヶ月間、ずっとこのままの状態だったのかと
考えると憤りのない怒りがこみ上げてきた。

たまに凸凹な道路に直面するときがあるが
それがすぐに修復されることはない。
しかし今回は何処から見ても道路としての
昨日は果たしているのか?と思うくらい
ボロボロの状態だ。

歩道はハッキリ言って歩ける状態じゃない。
壁も崩れていてかなり危険。

これを見て国民の安全を考える国は
どうしているか凄く謎になってきた。

それともまだ見てないのか?






Last updated  2011.05.16 00:11:24
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