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3.11被災地レポートその2

2011.10.20
XML
テーマ:地震情報(610)
前回、訪れてここのブログでも紹介した
ふじみつ商店」で
「LOVE ACROSS JAPAN-日本中に愛を-」
東日本大震災義援チャリティー同人誌

banner150_150h.jpg

販売が開始されました!

場所は小名浜港の魚市場の目の前にあります!
アクアマリンふくしまから
いわきマリンタワーに向かう途中です。


東北で欲しかった方も、いわきに訪れた方も
是非お立ち寄りください!



いわきでは復興に向けて頑張っています。

先日10月1日にはスパリゾートハワイアンズも
再開致しました。


スパリゾートハワイアンズ ウイルポート

アクアマリンふくしまも再開し、徐々に
回復していっています。


いわきワシントンホテル椿山荘


いわき新舞子ハイツ


小名浜オーシャンホテル(旧:小名浜スプリングスホテル)

しかしまだ現状は厳しいと思いますし、瓦礫が撤去された
町にはまだ傷跡が沢山、残っているでしょう。

原発から近い場所は人もなかなか近づかないかもしれません。

でも現地で頑張ってる人達が沢山います。

私自身、足を運びましたが良い町です。
本当は今回の震災が起きる前に行きたかった。

でも、今この現実から目を背けてはいけない。

そういった意味でも時間が出来たとき、余裕ができたときは
いわきに訪れるのはどうでしょうか?

私自身、いわきに行って良かったと思ってます。
沢山の事を考え、人の優しさに触れ、人の偉大さに
感動を覚え、沢山の事実を知りました。

今回の震災で人は変わらなければいけないと思います。

忘れてはいけない出来事です。

被災した現地に足を下ろしたときの、あの何とも言えない
感覚はまだ新鮮に残っています。

何かしたいと思っても何をしたら良いか分からない方は
是非、一度いわきに訪れてみてはどうでしょうか?






Last updated  2011.10.20 20:26:43
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2011.08.23
テーマ:地震情報(610)
あまりにも嬉しい出来事だったので
支離滅裂になりながらも書き綴ります。


私が被災地を訪れてお世話になった
ふじみつ商店。

初めて会ったにも関わらず、名も知らない私に
沢山の話をしてくれた。

その後も電話で話しをしたり
先月も伺ったときに快く受け入れてくれた。

私がここで紹介したブログも娘さんが見つけたらしく
会った時にその話もしてくれた。

それから足を運ぶことは出来なかったが
こっちで何か出来ることをと思い、地道な活動を
していたが…

結果を伴わず、自分の非力さを痛感していた。


そんな中で…今日。

ある方からツイッターに連絡があった。

そうふじみつ商店の店主。

驚いてしまった。

ずっとツイッターをやってたらしいけど
私自身、あの光景を見ていきなりそうゆう話は
出来るはずがなかった。

でも、また娘さんが見つけてくれたらしく
私に声をかけてくれた。


ありがたい。


本当にありがたく涙が溢れてしまった。

こんな私を覚えていただいただけでも嬉しい。
なのに声までかけてくれるとは。


またこれで私は叫び続けることができます。

声が届くまで…。






Last updated  2011.08.23 17:20:29
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2011.07.28
3.11の震災から4ヶ月以上経って
被災地から離れた人達にとっては
もう復旧してるものと思ってたと思う。

ニュースでは避難所の期限も決まり
仮設住宅も出来て、普段の生活を
みんながしてると思ってただろう。

テレビでやってないことはもう大丈夫。

そう思ってた人も沢山いただろう。

私も現地に行くまでは、以前よりだいぶ
マシになってるだろうと思っていた。

しかし現実は違う。

4ヶ月以上経っても放置されている世界。

何もかもお金で換算される世界は無情にも
その町を忘れさせることが出来る。


町は海から風が吹いていて過ごしやすい。

もし放射能がなければ、風評被害がなければ
町はもっと賑わっていたかもしれない。

SH3F0430.jpg

稲穂も秋の収穫に向かって青々としていた。
しかし、受け入れてくれるのだろうか?

殆どのホテルが営業停止の中で
何とか修復して営業を開始しているところもある。

そこからは絶景が眺められてゴルフも出来る。

SH3F0367.jpg


小名浜オーシャンホテル(旧:小名浜スプリングスホテル)

しかし福島と聞くだけで原発と放射能を
思い浮かべるようになってしまっている。

でもきちんと測量をしていけば町はいつでも
活性化するように思えた。

それは周りの人達の理解も必要だ。


私の文章力では何も伝わらないかもしれない。

実際に色んな人に現実を伝えようとしても
批判を受けてしまったりもする。

前回、色んな人達に声をかけて、色んな人が協力してくれた。

その時は私自身、政治家嫌いになっていたので
それ以外の著名人に声を掛け手伝ってもらった。

しかし今回、地元で話を聞いていたら
国の力で何とかしないといけないと思い
数人の政治家にツイッターからだが声をかけた。

殆ど反応がない中、2人ほど返事をくれた。
1人はいわきにも連絡してみると言ってくれた。

それが何処まで進むか分からないが、私は
声をあげ続けるつもりです。

前にも書いたが正義心でもなく、偽善者と思われても構わない。
じっとしてるのが嫌なだけだ。
何をしてるの?と笑ってくれても構わない。
目を背けることは簡単で時間もお金も他のことに
費やせばそれなりに楽しむことは出来るかもしれない。

でも私は自分の感情の赴くまま生きていくだけです。


以前、訪れてから2ヶ月。

何か変わったのだろうか?

何か力になれたのだろうか?

何も変わっていない…

何も力になれていない…

しかし誰も聞く耳をもたなくても私はずっと繰り返すと思う。
私の声が枯れるまで、叫び続けるだろう。




東京に戻ってきてから歌を聴いた。

何故か涙が止まらなかった。

悲しいわけでもない。現地では元気をもらった。

笑顔も沢山もらってきた。

泣きたくて泣いてるわけじゃない。

でも「笑顔のまんま」というフレーズが
心に刺さり勝手に涙が溢れていた。

そうさ人生 生きてるだけでまるもうけ!

私もまた被災地に訪れたときは
笑顔でいられるように。

笑顔を見せられるように…


感じたまま、見たまま、聞いたままをそのまま
書き綴っていたので不可解な文章だったり
稚拙な文章で大変申し訳ありませんでした。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

私のこのレポートを多くの人達に見てもらうために
手伝ってくれた人達。
被災地に行く際に物資を提供してくれた人に
心から感謝致します。


スクリーンショット(2011-07-29 2.35.35).png
「笑顔のまんま」27時間バージョン


作詞:明石家さんま、BEGIN

つらい時でも 笑ってられる
そんなアンタは ホンマにアホや
先の事など 考えないまま
ペース配分さえ 出来ないで走る

悲しい時こそ おどけてばかり
そんなアンタは やっぱりアホや
惚れてフラれて また繰り返す
学ばないまま 明日を迎える

だけどそんなあんたを あんたを見てると
なぜか優しい風が吹きぬけて行く
しめった心は笑いで乾く

笑顔のまんま 笑顔のまんま
笑顔のまんま 笑顔のまんま
そうさ人生 生きてるだけで まるもうけ

OH! 笑顔のまんま 笑顔のまんま
笑顔のまんま 笑顔のまんま
そうさ THAT WAS THAT あの時はあの時さ

悲しい時には 涙ぐんでる
そんなアンタは どうしようもないアホや
明後日も明々後日も やめられまへんわ
変われないから お前も頑張れよ

だからそんなアンタを アンタを見てると
やっぱよう考えたら ムカツクわ
許せんけれど 笑けてくるわ

笑顔のまんま 笑顔のまんま
笑顔のまんま 笑顔のまんま
そうさ人生生きてるだけでまるもうけ!

OH! 笑顔のまんま 笑顔のまんま
笑顔のまんま 笑顔のまんま
そうさ THAT WAS THAT あの時はあの時さ

笑顔のまんま 笑顔のまんま
笑顔のまんま 笑顔のまんま
そうさ人生生きてるだけでまるもうけ!

OH! 笑顔のまんま 笑顔のまんま
笑顔のまんま 笑顔のまんま
そうさ THAT WAS THAT あの時はあの時さ

OH! 笑顔のまんま 笑顔のまんま
笑顔のまんま 笑顔のまんま
そうさ人生生きてるだけでまるもうけ!

OH! 笑顔のまんま 笑顔のまんま
笑顔のまんま 笑顔のまんま
そうさ THAT WAS THAT あの時はあの時さ

僕が笑いを 君にあげるから
君の笑顔を 僕に下さい






Last updated  2011.07.29 06:02:38
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テーマ:地震情報(610)
東京に帰ってきてからテレビをつけると
高速道路の問題が流れていた。

実際に行きも帰りも、何故こんなところで?
と思うくらいの渋滞にはまった。

事故もあったみたいだがそれだけじゃない
気がしたのはこうゆう事だったのかと。

国が全てを邪魔している。
それを悪用する人間が出てくるとも思ってなかったのか?

こうなるんだったら、マニフェスト通りに
全国高速無料化したほうがマシだったと思う。

こんなことを言うとすぐお金の話になるだろう。

今はもう未曾有の危機なのです。

不景気と言われて何年すぎたでしょうか?

バブル崩壊後、ずっとお金がないって話を続けて
全然、景気が良くなってないですよね?

それでもまだ国に縋り、いつかきっとと
思うだけでこれからも過ごすのでしょうか?


あなたの夢はなんですか?


夢は子供が持つ特権なのでしょうか?

私が行った小名浜港では誰もが夢を持ってる気がしました。

年齢なんて関係なく、もう一度、自分が育った町で
夢を見続けています。

ついこの間まで歩いた道も、過ごした家も
全て変わり果てた光景が目の前に広がっていても
もう一度、夢を。

不景気と言われてから大人は夢を見なくなったかもしれません。

些細なことさえも、分かりきった顔をして
諦めてしまう。

それが当たり前の社会になってから、周りにある
景色さえも見ないようになったかもしれません。

未来のために、子供のために。

そう言うのなら夢を見てる大人の背中を見せることが
私達が出来ることではないでしょうか?

SH3F0397.jpg

被災地の海岸線を走ると、仕事の合間?トラックを停めて
海を眺めている人達を多く見かけました。

命を奪った津波に恨みを持つわけでなく
心を支配した影を洗いに来てる気がしました。

昔の人はこの海の向こうが見たくて汗を流してたかもしれません。

しかし今も変わらず、震災前の景色を見るために汗を流してます。

SH3F0378.jpg

夢と言ったら綺麗事と思われるかもしれません。

もう散々、汚い世界を過ごしてきたのだから
綺麗事を言っても良いのでないのでしょうか?


もう一度。

夢を見ませんか?






Last updated  2011.07.28 18:28:23
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2011.07.27
ふじみつ商店を出たあとすぐ近くにあるお店に寄った。

その隣には市場もあり以前来たときは
ボロボロだったが、何とかテントを広げ
営業していた。

ただ広げただけなので中もよく見えない。

しかしちゃんと営業していた。

入ったお店はプレハブで建てたもので、お客さんも
お歳を召した人達ばかりだったが、一生懸命営業していた。

作業中だったので話しかけることは出来なかったが
いくつかの店で働いてた女将さんが集まって
この店を開いてるように見えた。
店の中は唯一前の店で残った道具や棚が並んでいた。

町は一生懸命、前に進もうとしている。

食べたあとすぐICに向かったが、車の中からも
色んな事に気づかされた。

海から離れてくにつれて営業しているお店が増えてきた。

明らかに沿岸部と内陸部の温度差が見て取れた。

以前、福島に訪れたときもブログを書いたが
そのときに、コメントでボランティアは沢山いるから
大丈夫と書き込みがあった。

その後、直接いくつかに電話して真実を聞いたが
全然、大丈夫な状態ではなかった。

しかしボランティアに行った人で内陸部で活動した人にとっては
もう大丈夫と思える状態だったかもしれないと思った。

実際に港の方ではボランティアの人はあまり見かけなかったらしい。

近場でこんな状態なのだから、私が住んでいる
東京はもちろんのこと、離れた場所にとっては
もう、のど元をすぎたものだとして捉えてるのだろう。

これを読んでる人の中にも
もう四ヶ月経ってるんだから大丈夫だろうと
思ってた人もいると思う。

私が住んでた国はこんなにも冷めた国だったのか?

何もかも情報の時代で自分の目で確かめることをしなくなった。

元々、そうゆう国だったかもしれない。

私自身も人のことは言えないし、その情報の
真偽を確かめることが精一杯だったかもしれない。

しかし現実は違う。

いつの間にかマスコミ、メディアに寄り添って
それを信じ続けていたと思う。

今は、国も嘘をつく時代。

頼れるものが崩れていったとき、人はどうするべきなのか?

自分の殻に閉じこもるのか、隣の人と手を取り合うのか。

その選択肢に立たされてるかもしれない?

SH3F0401.jpg

SH3F0420.jpg

SH3F0403.jpg






Last updated  2011.07.28 16:26:47
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テーマ:地震情報(610)
最初に「ふじみつ商店」に向かう際に
信号が3つほど機能してない状態だった。

それも店主に聞いたところ、目の前の道路は
公安の管轄で県も市も手を出せないでいると言っていた。

町を復活させようと住んでる人達は
必死になっている中で、国は何も聞いてくれない。

近くのお店はちょっと離れた土地に
新しく家を建て営業しようと思い申請したら
同じ場所に店を出さない限り、
国も県も市も保証しないと言われたらしい。

明らかにおかしい話だ。

今回の地震と津波で被害を受けた人達には
これからの暮らしのため、再建のために
生きていかなければいけない。

なのにまた同じ場所に建てない限り
一切、保証しないということだ。

そう、また同じような震災が起きたとき
また同じ場所で被災してと言っているようなものである。

元々は八百屋だったふじみつ商店は
八百屋を復活させない限り保証してくれないらしい。

しかし店主は、震災後すぐにお店を開き
知人から冷蔵庫を手に入れたりして、生活に必要な
色んなものを販売するようになった。

そう、町のみんなが生活するようにと…

でもそれは認められない。
八百屋でない限り、復興、復旧と認めないらしい。

保証してもらうには今ある商品(生活品)も冷蔵庫も
全て捨ててから申請しないといけないと。

店主はそれを拒んでいる。

またこの港が漁業で栄えることを願いながら
その人達に必要なものを置き続けている。

この四ヶ月。

国の対応と風評被害で何も進んでいない。

もっと言えば芳しくない。

お店を続けるにも限界がある。

しかし、店主は復興のため流された車の代わりに
新しく車を手に入れ配達したりしている。

その車も借金をして手に入れたものであろう。
私はそこまで聞くことは出来なかったが
話をしているとある程度は推測できる。

実際に銀行をお金を借りてきたが、何も
国や自治体からは保証はないと言っていた。

かと言って店主は国に保証してもらうつもりで
八百屋に戻すこともないし、周りに住んでる
人達のために自分の身を削り続けている。

店主は物資は流通も稼働して充分足りているから
聞かれても分からないと答えると言っていた。

裏を返せば、この町に必要なことは自分たちで
何とかするから国は邪魔をしないで欲しいともとれた。

実際に、梅雨の時期はクーラーもないから大変で
今はやっと海からの風で涼しくなったと言っていた。
私自身も今回、有志の方から頂いたハエ取りシートを
渡したが、それだけでも喜んでくれた。

本当は足りないものが沢山あって
復旧したいものも沢山あるのだ。

もっと沢山話を聞きたかったが時間がなく
休憩中の店主にも悪いと思い全てを聞くことが出来なかった。

でも、たぶんこっちから何か必要なものは?

と聞いても大丈夫と答えてくるだろう。

以前より車も多く通っていてバスも通るようになっていた。

町は必死で前に進もうとしている。
しかし、町の至るところで残酷な風景がまだ残っている。

SH3F0415.jpg

この矛盾した世界であと何ヶ月苦しい思いをしないといけないのか?

四ヶ月経っても未だに見えない復興の兆しは
国が止めているにすぎない。

被災地だけでなく国中が声を挙げて
今の国を変えることが一番望まなければいけないことである。

そのためにはどうするべきか?






Last updated  2011.07.27 20:08:08
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2011.07.26
テーマ:地震情報(610)
時間がなかったために帰ることになったが
最後に「ふじみつ商店」に立ち寄った。

二ヶ月前に色々と話してくれた
店主と会ってまた話を聞かれてくれた。

今回の目的は安易である。

この店主と電話で話したときに
また遊びに来てくださいね
と言われたこの一言だった。

私にとっては凄く重い言葉で、実際に
もう一度会いにいかないといけない。
それだけで福島に向かったと言っても良い。

本当はガイガーカウンターの一つでも持って行けたらと
思い、ネット上で有志を募ったが無理だった。

何故ガイガーカウンターを?

と思うかもしれないが、店主の話を聞いても
必要性を凄く感じたからだ。

店主はとにかく前に進むだけだという姿が垣間見えた。

それを邪魔してるのが国だというのもよく分かった。

それは店主だけじゃない。


訪れた小名浜港は漁港の町でもある。

ニュースを見て知ってる人もいると思うが
カツオ漁で有名な港だったが、風評被害のおかげで
小名浜港で水揚げすると買い手がつかなかった。

カツオはずっと離れたところで取れる魚であり
被災地の福島で水揚げした瞬間に放射能に汚染されるという
不思議な図式がいつの間にか日本中に広がっている。

今回、汚染牛の件でさらに拍車をかけただろう。

しかし、私が立ち寄ったとき、次また買い手がつかないかもしれない
カツオを捕るために船の手入れを一生懸命やっている
漁師達の姿がお店の入り口からずっと見えていた。

そして次に控えてる秋刀魚漁のために船を綺麗にして
準備している船が並んでいた。

汚染牛の件で国のずさんな対応が国民中知っている中で
まだ、この漁場には何の対策も下りてこない。

漁師達はこれから先が見えない中、前に進もうとしている。

その人達に何か力になれるものと思ったのが先ほど言った
ガイガーカウンターでもあった。

実際に汚染牛の問題は牛を育ててた家畜の人が
友人からガイガーカウンターを借りて計ったところで
発覚している。

国が何もしないなら自分たちでどれだけ安全か
調べるしか今は方法がないのだ。

SH3F0426.jpg

小名浜港の近くの港ではまだ船さえも用意出来ない場所もある。
この写真(↑)でも分かるように海にさえ入っていない船もある。

そんな中で小名浜港は自分たちの足で立ち上がろうとしている。

中には小名浜港で水揚げした魚を買ってくれるという
業者もいるみたいだが決して多くはない。

それにどれだけ安全かは何処かでねじ曲げられるかもしれない。

だったら自分たちでも計れるような状態を作るのが一番大事で
国からの責任逃れを防ぐための防御壁の一つだと思う。

しかし港の人達は今の形になるまでに沢山のお金を
つぎ込んでる状態だ。

SH3F0425.jpg

船があっても冷蔵庫がない。

今、次々に降りかかるのがお金の問題で
それに対して国は銀行にすぐ貸せるようにと
指示しているみたいだが、その借金を背負うのは
その町の漁師たちなのだ。






Last updated  2011.07.27 15:56:18
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テーマ:地震情報(610)
東京にいると偏った情報しか入ってこない。

今は他国の事件か国会の事情以外は
ほとんど入って来なくなってきた。

たまに東北のニュースが流れても
原発か放射能のことで、現地が今どうなっているか
テレビをつけていても殆ど見ることが出来なくなった。

ネットの中でも嘘と真実が入り交じり
何を判断して良いか分からなくなってきた。

SH3F0417.jpg

目の前に広がる光景は以前は何があったのかも
分からない状態だった。

地元の人達にとっては4ヶ月も経ってるから
慣れてしまった感もあると思うが、ちょっとでも離れて
メディアからの情報しか知らない人達にとっては
まだこんな状態?と疑うと思う。

SH3F0422.jpg

この写真(↑)に写ってる建物を見てもわかるように

「4/10 とりこわしOK」

と書かれている。

しかしまだ被害があったときの原型を留めたまま
7月25日になっても残っているのだ。

場所によっては瓦礫もそのままの状態で
二ヶ月前に見た風景と変わらない現実が目に飛び込んでくる。

SH3F0424.jpg

本当は現地で撮った写真はすぐにアップして
報告していくつもりだったが、iPad(ソフトバンク)は電波が
入りにくい状態が続いていて、まともに利用が出来なかった。

ソフトバンクと言えば孫さんの100億円の寄付だが
この状態は知っているのだろうか?と思ってしまうほど
現地では電波が入らなくて使いにくかった。

被災地で電波が入りにくい状態は
今の携帯電話が当たり前の時代では致命的だ。

これからも震災は必ず起きる。

それを思うとこの電波が入りにくい地域が
被災地だけでなく、日本の中にあるのは
携帯電話会社の危機管理さえも疑ってしまう。


未だに国会やメディアでは寄付金や義援金の使い道を
話したりしてるが、この4ヶ月以上経った今、
何を迷っているのだろうか?

SH3F0418.jpg

私が立ち止まって周りを見回しても
重機の数が明らかに過ぎない。

もしかしてこの数でこの地域を片づけていたのか?
4ヶ月という月日はそれだけに費やしたのかと
思ってしまうほど、あまりにも遅い対応だということが分かる。


ここに来るまで以前と違うのは
町の人を見かけたこと。

以前来たときは電気もやっと通った状態で
開いてる店もなく、人も全然いなかった。

たまに見かけるのは壊れかけている自分の家を
何から手をつけて良いか分からず、呆然と
たたずんでる人がいるだけだった。

決して過剰になってはいけないと思うが
マスクもつけずに歩いてる人が殆どで
子供達も同じだった。

私達は海岸沿いを車で走ったが
2人とも咳が出て途中からマスクをつけないと
ちょっと苦しい状態になっていた。

放射能じゃなくても砂埃だけでもそうなる
状態なのに地元の人達は平気そうだった。

もう慣れてしまったのか?

それが被災地全域で広がっていたら。。

知らず知らずの慣れが
全てを遅らせることになる。

それは被災地以外の人達も同じで
メディア、政府の対応に慣れてしまって
今何をしないといけないか
分からなくなっている気がする。






Last updated  2011.07.27 06:49:53
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テーマ:地震情報(610)
真っ直ぐ行けば原発に向かう道も
途中、まだ復旧してないために通行止めになっていた。

回り道してたどり着いた町は
さっきと同じ光景が広がっていた。

SH3F0405.jpg

私達が住んでいる日本は
先進国ではなかったのだろうか?

メディアではあの3.11を忘れてはいけないと
言われたりするが、現地に行けば
あの時から何も変わらずそのままなのだ。
忘れるわけがない。
何度かここでも書き綴ったがまだ被災中なのだ。

SH3F0406.jpg

4ヶ月経った今、未来のためにとか
子供のためにと言う人達もいるが申し訳ないが
まだそんな気になれない。

今を何とかしない限り先には進めない。

メディアでしか見てない人達にとっては
避難所となっている体育館は安全だと思ってたはずだ。

しかし見ての通り海辺の体育館はボロボロで
使い物にならない状態で、今もまだそのままだ。

SH3F0409.jpg

周りを見てもまだ生々しい光景が広がっている。

もう一度言う。

4ヶ月も経ってるのだ。

なのにあのときの爪痕がまだずっと
そのままの形で残っている。

SH3F0413.jpg

私達が刻んでいた時間が幻のように思える。

時計の針は進んでいない。

まだ何も進んでいないのだ。






Last updated  2011.07.26 21:05:43
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テーマ:地震情報(610)
小名浜から北は海水浴場が広がっている。

しかし、原発から40kmの地点。
誰も泳いでる人はいない。

堤防も仮修復されていて、海沿いの道路は
ずっと砂埃が舞っている状態だった。

SH3F0387.jpg

撤去され土台だけ残された敷地が広がる。
しかし、その中でまだ3.11の時のまま
時間が止まっている場所が沢山あった。

SH3F0389.jpg

以前来たときとは明らかに違うのは
すれ違う車が多いこと。

しかし北へ向かうにつれて業者の車しか
通らなくなっていた。

SH3F0391.jpg

元の光景がわからないから、実感が沸かない部分もあるが
たまに見える被害が少なかった建物と土台を見ると
ここには人が生活していて、この時期になれば
子供の声が聞こえて、海水浴場も
沢山の人で賑わってたに違いない。

SH3F0394.jpg

4ヶ月経っても時間が止まっているこの光景は
東京までは届かない…

この場所から原発を挟んで北では
「相馬野馬追」が行われていた。

お祭りはその街の力であって、決して
全てが元に戻ったわけではない。

しかし報道ではもう復興してるかのような
錯覚を起こす報道をしていた。

現実は違う。






Last updated  2011.07.26 17:03:15
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