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カテゴリ:登山
こんにちは、サクッとマスオです。 新田次郎『孤高の人』、3回目読み終わりました。 読み終わってハッキリ分かったことが一つ—— 加藤文太郎、バケモン(尊敬)。
初めて読んだ時は読了後に膝から崩れ落ちたレベル。 だってこの人、 登山だけじゃなく “仕事も家庭も諦めずに、山に向かい続けた” んですよ。 この両立っぷり、現代の俺たちに一番刺さるところじゃないすか?
文太郎と同じルートで八ヶ岳、夏山だけど。 加藤文太郎は“山のために全て捨てた男”じゃない 世間でありがちな誤解: 「孤高=全部捨てて山だけ」 いやいやいや、違うんすよ。
この三本柱、どれも折ってない。 むしろ
“生活を背負ったまま山に向かう覚悟” が、あの行動力を生んだんじゃないかと思う。 山に登るために人生を捧げたんじゃなく、 人生を抱えたまま山に挑んだ。 ここが震えるんですよ。
なぜ心に刺さる?“普通の生活をしながら、異常な挑戦” 俺、読みながら何度もこう思いました: 「時間ねぇし疲れてるし…って言い訳してる自分、どの口?」 仕事でクタクタな日も、 家庭の責任が重くのしかかった日も、 文太郎は山に向かった。 趣味の域じゃない、けど 「山のために何もかも投げた」わけでもない。 “全部やる”って覚悟。 これ、いまの俺らに一番足りないやつじゃん……。
【単独行】孤独が怖いからこそ惹かれる そしてこの作品、外せないのが “単独行”。 ひとりで歩くという狂気と理性
正直、 「孤独こそ最大の敵」 って言葉がぴったり。 でもそれでも行く。 ひとりで行く。 それが 文太郎の誇りであり、弱さでもあり、強さでもある。 読みながら、 「俺は何と向き合えてる?」 って刺さるんですよ。 単独行って、山より自分が見える。 読後、俺に起きたこと
心は山に行ってるのに、体は布団に埋まってる状態。 これがいまの最大の葛藤。 【まとめ】『孤高の人』は“両立した人間”の物語だった
よく言われる 「孤独・執念・山」 それも間違ってない。 でも俺に刺さったのはそこじゃなくて—— 仕事も家庭も背負いながら、 それでも“自分の山”を諦めなかった人がいたという事実。 時代は変わっても、 責任や生活がある今だからこそ、 文太郎の姿に心が震える。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2026.01.01 10:36:44
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