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少し前のことです。昼間、近所を歩いていたら、 カランと音がするので見ると、小さい子どもを乗せた お母さんの自転車から、おもちゃのバットが落ちた 音でした。 わたしがいる歩道から、車道を越えた反対側でしたし、 自転車を降りれば拾えることだったので、そのまま 行こうとしましたが、お母さんが両足をついて、 そろそろと自転車ごとバックし始めたのです。 その不自然さによく見ると、小さい子どもは眠り こんでいて、お母さんが自転車を降りたら、自転車は 確実に倒れる状態。 「それなら」と、わたしは急いでいるわけでも なかったので、道を渡り、そのバットを拾って 差し上げたら、なんとそのめちゃ美人のお母さんに、 「涙が出るほど嬉しい!」と、命の恩人に出会った かのようなリアクションをされ、こちらのほうが 恥ずかしくなるほどでした☆ でも、その話を、6ヶ月の赤ちゃんを持つ知人に したら、「ベビーカーを押してても、手伝ってくれる 人なんてほとんどいないよ。この間、バスを降りる時、 ベビーカーを持ってくれたおじさんがいて、ものすごい 感激した!」と言ってました。 何と言うか、わたしは自分が犠牲を払ってお手伝いを したわけではないんです。 わたしにとって、道を渡ることは造作ないことですし、 急いでいるわけでもなかったので、バットを拾って あげることは、本当になーーんてことのないこと。 そのおじさんにしたって、自分がバスを降りるとき、 一緒にベビーカーを持ってあげるくらいのことは、 たぶん大したことではないと思います。 世の中には、自分にとってまったく些細なことでも、 相手にとってものすごく嬉しいことがあるんだな~! と思うんです。 こちらも苦労や犠牲を払って、誰かを助けてあげることも もちろんあるでしょう。 でも、そうでなくて、本当に苦もなくできることでも、 人の役に立つことは、周りを見ればたくさんあるんだと 思うんです。 あとはそれに気付けるかどうか、だと思います。 そこで問われるのが、わたしは『想像力』だと 思います。 相手が何を思っているのか、どういう状況なのか、 そういうことを「想像する」ことって、すごく大切で 貴重な人間の才能だと、わたしは思っています。 とは言っても、実はわたしは相手の気持ちを察するのが たぶんヘタなほうです☆ それでも、想像する努力をすることが、まず一歩♪ 子供づれにかぎらず、ちょっと周りを見てみると、 いろーーんなことが見えてくるはず。 自分にとって、なーんてことのないアクションが、 相手の感謝によって、一日(もしかしたらもっとずっと) 自分の気持ちをあっためてくれるかもしれません♪ 想像しようよ、もっと! そして、もっと声をかけあいたいな。 そんなことが、もっと当たり前になると いいなぁ♪ |
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