だいぶご無沙汰をしている。前回のhpの更新から3ヶ月が過ぎてしまった。
このところ、忙しさに感けてhpを殆ど見ていない状況が続いた。宛ら情けない限りである。
最近オンデマンドで一人の日本人作曲家の姿をNHKスペシャル「魂の旋律~音を失った作曲家~」の映像を観た。佐村河内守、49歳。14年前に原因不明の病で両耳の聴力を失いながら、クラシック作品の中で最も困難とされる交響曲を書き上げ、その苦難の中から至上の音楽が創りだされていく様を固唾を呑みながら一瞥も出来ず見続けた。あまりにもあまりにも...天は何ゆえにこのような至難を与えたのか...
佐村河内は17歳で『交響曲第1番「ヒロシマ」』の作曲に着手。その小さく細かい音符が恐ろしいほど巧みに一枚の付箋に刻まれている。着想はすでにできていた。同年から原因不明の偏頭痛や聴覚障害を発症。高等学校卒業後に上京したが、現代音楽の作曲法を嫌って音楽大学には進まず、肉体労働者として働きつつ独学で作曲を学んだ。このころに既に交響曲は10曲ほど書かれたが、彼はそれをすべて破棄した。そしてこの「交響曲第一番ヒロシマ」に改めて書き始めている。
抑鬱神経症や不安神経症に苛まれ、常にボイラー室に閉じ込められているかのような轟音が頭に鳴り響く。頭鳴症、耳鳴り発作、腱鞘炎などに苦しみつつ、絶対音感を頼りに作曲を続けた。生きているだけでも不思議なくらいの悲惨な状況にいながら、ものすごい執念で作曲を続けている。本に記されたその様子は先に進ませるのを拒ませる。
それでも彼はそれを人に言わないようにしてきた。知られるのも嫌がった。障害者手帳の給付も拒み、自分の音楽を同情抜きで聴いてもらいたいと考えていたようである。
自分は作曲に打ち込みたいだけだというのが彼が言い分だ。マーラーは「いつか自分の時代がやって来る」と言った。何時かは佐村河内守の音楽も自分の時代到来というのに相応しい時が来ると個人的に思った。生きているうちに、書けるうちに、書くべきものを書くしかない、そういう気概が強く感じられる。そこには始終普遍的なマーラーの第3交響曲の旋律が沸き出でるかのようで、広大無辺な景色が見えてくる。
交響曲の作曲法の見解として現在では、1960年代を最後にベートーヴェンやブルックナーのような交響曲を書けない時代であることが通説である。なのに佐村河内の交響曲にはマーラーやショスタコーヴィッチやブルックナーのような系譜がしっかりとある。このような音楽を今の時代に創作するということは、大凡誰しも考えたことはないのではないだろうか。こういう作曲法を用いて創りだしたその労は、奇跡としか言いようがない。現代音楽の模索の時期に、佐村河内の音楽は今後の世界の作曲法の抜本的基盤の道標を示したといってもいいかもしれない。
この交響曲は自らの命を削り、命がけで書かれた大曲である。「闇が深ければ深いほど祈りの灯火は美しく輝く」という作曲者の言葉に象徴される。
少なくとも五体満足でいられる自分には、これ以上何を望めばいいのか?と赤裸々に自身の人生を顧み、胸が痛くなる。この交響曲第一番にはあらゆる苦しみを越えて希望を見出そうとする人間の普遍的な心情に、深く通じる真実の音楽が聴く者の心を深く揺さぶる。最終楽章に苦しみと闇の彼方にある希望の曙光が降り注ぎ、先に見える黎明は人間の根底に途轍もない感動を呼び起こさずにいられない。
この作品を聴いて流水のような涙が何度もあふれた。溢れ出る涙は佐村河内という人の至難の姿に涙するものではない。この作品に存在する魂の所以がそうさせるそう聞こえるが故の涙であると心から思った。