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カテゴリ:独立起業物語
母に、「あの人にお願いすれば」といわれたのですがその「あの人」とはこんな人です。
仮にNさんとしましょう。Nさんは、母に勤めている会社の会長の息子さんです。会社での肩書きは部長ということですが、いずれ会社を継ぐことになっているらしいです。 バイク好きで何度かうちにきたこともある人で話しやすくいい人です。年は40前半くらいだったかな。 その人と話をするセッティングを母が整えてくれたので、なんとか保証人になってはくれないかとお願いに出かけることになりました。 その人はちょうど夜勤をやっているということだったので、夜10時過ぎに母の勤めている会社まで行くことになりました。かなり緊張しましたが、がんばらないとどうしようもない。 会社に着き挨拶に行くと「いまちょっと手が離せないから待ってて」といわれ、待つこと30分。やっとお話が出来ることになりました。 会社の食堂に通されました。 「お母さんから聞いたけど、話があるんだって?」 「はい。回りくどく言っても仕方がないので簡潔にお話します。」 「うん。そのほうがいいな。」 会話の始まりはこんな感じでした。 ここでのいつもの説明をしました。アドバンス4番にとって何回目になるのかもうわからないくらいです。それで一通り説明をし終わると、今度はNさんから質問が来ました。 「仕事を始めた月はどれくらいの売り上げを見込んでいるの?」 「その溶接機を買ったとして月々の返済はどれくらいなの?」 「営業活動はどうするの?」 アドバンス4番は、今までも何回も何回も同じような質問をされてきましたからだんだん上手になってきて、考え込んだり途切れたりすることなく説明することが出来ました。 けっこう手ごたえがあるかなと思い、そしてこれでだめなら本当にもう頼る人がいないと言うこともあり期待しながら話を進めていきました。 話をしながら「この人が自分の人生の鍵を握っているんだな」と思うとなんだか怖い気持ちにもなりました。 そしてその人の答えは 「あまいな。」 ががが~~~~ん!!! アドバンス4番は目の前が真っ暗になりました。気が抜けてしまい、その後のことはあまり鮮明には覚えていませんが、Nさんはこんなことを言っていました。 「俺が高校の時に親父が会社を起こしたが、当初は食うものもないくらい貧乏で、高校卒業してから親父を手伝った俺は最初の何年かは給料なんてもらえなかった。親父は一日中電話の前に座り、営業やったり仕事依頼の電話を待っていたよ。」 「その計画はあまいよ。これだけ大きくなったうちの会社でさえこの新社屋の返済はこのくらいのものだ。こんなに払えるわけがないよ」 もうアドバンス4番は断られたときのショックで反論も出来ず、またこのNさんという人もかなりがんばっている人だと母からも聞いていたので「この人の言うことには間違いはないのだろう」という先入観も手伝って、自論がどんどんこの人によって崩壊していくのがわかりました。ガラガラガラーッ!! 話を終えて息も絶え絶え家に帰ってきました。母に「どうだった?」と聞かれても「うん、だめだった」と答えるのがやっと。 ここ半年くらいスーパーサイヤ人になってがんばってきたアドバンス4番は、あっという間にヨレヨレになってしまいました。 あとは、アドバンス4番に出来る事は何もありません。Nさんに自論をぼろぼろにされて、催眠術をかけられたように「しょせん俺には独立なんて無理なんだな。会社に勤めて安定した暮らしでがんばるか。こうなったら会社で出世してやる。」と、まったく独立という考えはなくなってしまったのです。 それほど、Nさんの話は未来はないぞ見たいな話でしたし、実際に親の独立起業を息子として手伝った人の言葉は、ほかの人にいわれるよりずっと破壊力があったわけです。 アドバンス4番は出来ることはもう何もないし、やる気もない。後は片づけをするだけです。 国民生活金融公庫の面接の時に自己資金がまったくゼロではまずいと思い、面接の時だけでいいので貸して下さいとお願いして借りた200万円を知人に返しに行くだけです。 さてと、かたづけかたづけ・・・・ 次回予告 後片付けを始めたアドバンス4番。本当にもう独立企業の計画はあきらめてしまった。このあと、どーなってしまうの? どぎゃんしたらよかと? どんげもこんげもねーこてやれ ↑決してアドバンス4番が住んでいるところの方言ではありません。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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