Dreamy afternoon cafe

2005/03/18(金)11:50

◆自然への憧れの原点◆

日々の雑感(258)

子供の頃、「・・・は危ないからいってはいけないよ」などと子供が一人で遊ぶと危なそうな池や川などに行かないようにいつも両親に言われていました。 ところが、当の私はといえば、冒険や探検と称して近所の友達と一緒に、しょっちゅうそういった場所にも行っていました。 親を騙そうなどとはさららさ思ってはいませんでしたが、子供心に冒険心をかきたてられる所がそういった場所でした。 幸い私の田舎は、住んでいた場所は商店街のアーケードのあるところだったものの、1~2キロ歩けば山有り川有り、戦時中に掘られた防空壕跡など「冒険心」をかきたてる対象があちこちに有りました。 (親にすれば、そういうところだからこそ危ないということになるのですが・・) 幼稚園の年中くらいの頃には、家から3キロくらい離れたところまでは一人でも行っていました。 (今の幼稚園児をみているとそんな事をする子供はいないと思いますが) 特に山にはいると、その自然の香りというか、山独特の匂いがあってそれが好きでした。 当然の事ながら、山歩きをすると「かやの葉」で手足を切ったり、転んで怪我をしたりする事もしょっちゅでしたが、祖父に教えてもらっていた「切り傷にはヨモギの葉を揉み解してその液をつけると血が止まる」という特効薬で結構直ったつもりでいました。 そのヨモギの揉み解すときの独特の香りもまたそうした記憶の中にしっかりと残っているものの一つです。 春の花見のシーズンともなれば、そうした山の池の周囲には桜並木があって沢山の花見客が弁当やビールを持ってにぎあったものです。 そうした弁当やビールの匂いもまた懐かしい香りのひとつです。 池の周囲には、「河童の絵」の描かれた遊泳禁止の立て札が立っていました。 子供ごころに、こんな池で泳いだらやっぱり河童に足を引っ張られておぼれるのかなと半分くらいは信じていました。 でも、池に近寄らなかったわけでもなく、蛙を捕まえたり鯉やフナの泳ぐ姿を見に池の周囲をうろうろしたものです。 その花見の名所の山は赤土だったので、家に帰ってそ知らぬふりをしても、服や靴についた赤土を見れば一目瞭然だったはずです。 ひょっとしたら両親は全てお見通しだったのかもしれませんね。(今から思えば) 私の今までの日記の中で、一人キャンプのことや、春の訪れを切望していることを書いてきましたが、これを書きながら、ふと思うのです。 私は多分、幼い時に感じた山や川や池の明るい日差しを浴びた風景やそれぞれの独特の香り、そして花見の時期の思い出など、「自然と自分の接点」に戻って見たいというような思いが今でも心の中で生き続けているのではないだろうかと。 よく、男はいつまでたっても少年のようだと言われますが、 自分を振り返っても、確かにそうした幼年期から続く一筋の共通した感性のようなものに対する憧れが心のどこかでいつも生き続けているような気がします。 私の「牧歌的な風景を愛する心」はそうした幼年期のできごとが強く影響しているかもしれません。 新緑に鮮やかな花々の色が良く似合う春の風景を早く見たいものです。

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