年金は60歳からもらえる。いつの間にか65歳が標準受け取り年齢になってしまったが、政府はシニアも働け、老後は長い、一度受け取り年齢を決めたら変えられないと、判断を先延ばしして受け取り年齢を後ろに後ろに洗脳するのに必死だ。不安をあおる。
本当にそうだろうか。
ずっと健康な想定ならば、そして長生きするならば、理論通りだと思う。60歳より65歳、70歳の方がもらえる総額が高くなる設計になっている。健康ならば。そして政府が方針を変えなければ。
齢80歳過ぎの両親を見て、老いとは想像を超えると感じるようになった。動きは遅い、購買欲はない、情報には疎い、新しいものに取り組めない、感覚はにぶい、遠くへは出かけられない。50歳がタイムスリップして30年後になったような、精神・肉体が維持された老後なんて、ない確率が高いのだ。
両親を見ていると、大きく使うのは食費、光熱費、医療費と維持費と自身の健康にかかわる例えば自宅の改築費とかに限られる。減るのは前者2つ、増えるのは後者の3つだが、維持費を除いた医療系に関しては日本はよくできている。(不用意な出費は結構ある。例えば見もしないケーブルテレビに毎月大金を払っているとか。止めろと言っても止めないが)
つまりお金には使い時がある。
いつまでも同じだと思うなよ。健康だと思うなよ。同じ10,000円でも使い甲斐はいつだ?
50歳を過ぎて本当にそう思うようになった。
でも今日は年金の話ではない。それこそ自身の年金に問題が発覚して、年金事務所に通う羽目になっているがそれはまた今度。
今日の話題は五十肩だ。
寝ていても整形外科に行くような事態になるのが、オーバー50歳。朝起きたら膝が痛くて歩けないなんてのはザラ(なんで?)で、一番ひどかったのは2020年初夏に寝ながら左肩を脱臼したことだ。若い頃に脱臼僻があったからだし、腕ひしぎ逆十字固めのように左腕がベット外に落ちたからだが、それにしても寝ていて脱臼するかね。この時は救急車の世話になり、深夜に二つ先の病院に運ばれた。
その話でもない五十肩。
肩こりと無縁の50年を過ごしてきたから、四十肩五十肩と言われてもピンとこなかった。今年8月のある日ある朝、急に脱臼とは逆の右肩に激痛が走って肩が上がらなくなった。膝痛は1週間もすれば治るので放置したが、治らない。これが手を挙げると相当痛い。肩に臓器はないし、肩こりに真剣に取り組む近所の整形外科医も知らないし(X線撮ってNSAID処方されてどうせ終わり)、放置中ではある。
ただ、五十肩と侮るなかれ、結構日常生活には支障が出る。右利きだから右手を使うことが多いが、痛みで手が伸ばせないから左手でやり直すことは多い。車の運転で右手が上に上がる左折がしにくい、右肩が下になると痛いから寝返りで起きてしまう。etc.。今から鍛えようにも痛くて鍛えられない。背中もかけなくなって、孫の手を買った。
4か月経った今も状況が変わらない。おそらく五十肩経験者だろう88歳の父親に話すと、オレもなった、いずれ治る、治ったら忘れる、それより60歳過ぎの腰の方がはるかに痛い。
そうか、これから腰痛もあるのか。
老化はコワイ。