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テーマ:子育て現在進行形(1980)
カテゴリ:私
週末はNHKの環境番組を見る。以前からうすうす感じてはいるが、おそらく子どもたちが大人になる頃、あるいはその次の世代の子どもたちの頃には、今の状態は維持できないだろう。
加速度が付いて汚染し、資源を消費する中で、子どもを持つと言う意味はなんだろうとまた考える。私はやはり無責任なお気楽モノなのか? 子どもをもつ一部の母親が、エコに向かう気持ちは当然の帰結であると思う。そして私も、無理まではしないが、なるべくなら資源の無駄遣いはやめようとまた思う。 今週は通勤電車の中で ↓「迷走する両立支援」 を読む。気が弱くなっているせいもあるが、ここにあるあらゆる例に(経験していないことまでも)涙なくしては読めず。先が見えない思いに暗澹となる。 モモの友達のお母さんが言う。 「いつも(見かけた時)走ってたね、って言われるねん」 私もそう。毎日定時に帰宅しても、ホームの端から端まで走り、先端車両に乗り、階段はいつも一段飛ばしだ。疲れて子どもの相手は満足にできず、食事も教育も不十分ではないかといつも思う。仕事は中途半端で、巻き返しのチャンスもないまま朝になる。がんばりたいからやるのではなくてがんばらなくてはならない状況がそこにあるだけと言う気がしてくる。 それでも、今は走ろう(転ばないように気をつけつつ)。 できるだけのエコはしよう(気まぐれに)。 最近疲れて世話してやれない子どもたち、ごめんなさい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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