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カテゴリ:仕事について
例えば次の日に弓道の試合を控えて練習するとき「明日の試合はどんな射をしようかな」とよく考える。
で、なんとか経験的に「ここをこうすれば中る」というポイントを発見するんだけど、でも大抵前日に準備した射が試合でうまくいくことは少なかった。練習と本番で、たとえ昨日と同じに引いてるつもりでも実ははまったく違う引き方をしてたりする。それは練習と本番とでは意識が違うから。 だからそのうち試合前日の練習では本番で通用するための「中てるポイント」とさらにその裏に複線を張っておくようになった。 この射で明日通用しなきゃ、開き直ってこっちの引き方にスイッチしよう、って。 まあ、それが本番で通用したかどうかは置いといて、意識ってのはそのように構成されているもんだなあと今日思った。 意識ってのは表象されている意識だけが一面的あるのではなくて、表象意識の下に更に別の意識がある。それが何層にもなっているようなイメージ。常に意識には複線が張られている。 発想の転換や、追い詰められての開き直りってのも意識が別の層に切り替わって起こるのでは。 過去を想起するとかもそんな感じだなあ。 実は今日は転職活動を始めてから初めての面接の日だった。 面接対策を昨日から色々考えていて、一番恐いのが緊張で頭が真っ白になってしまうことだと思った。 でもまてよ、と。 結局頭が真っ白になるやつってのはそれだけ意識の複線が張られていないってだけなんじゃないか? 簡単に言うと準備不足。 面接で聞かれることのほぼ9割位は予想できるような質問だろう。 残り1割の質問でまさか頭が真っ白になるようじゃ、トラブル処理能力を疑われるしなあ。 イメージングも準備もバッチリしたし大丈夫だろう。 という感じで一瞬不安が軽くなりました。 でもまてよ、と。 弓道の試合を思い出してみた。自分の射も、仲間の的中も、状況を9割方イメージングした時の試合ってのは、逆に自分自身の身動きを制限し、自由を奪われ、予想外の自体に臨機応変に対応できなくなることが多かった。 だから結局先に述べた複線的に用意された射ってのは試合で通用することも少なかった。。。。泣 状況を99%予想することは可能だ。でも100%は不可能。だから予想外の状況の為に用意する意識の複線てのには、一体何をおいておけばいいのか? 古典的だけども、やっぱ何が起きても動揺しない「覚悟」とか「心構え」とかしかないですね。 で、それってどうゆうことかというと、 昨日は授業で大学に行ったんですが、その時先生に言われたのが「相手がどんな顔をしてるか見てくるつもりで行ってきなさいな。」と。まあ無理に構えることはないよということです。 準備が整ったなら後はもう流れに逆らわず身を任せるしかないんですよねえ。そしてそれが一番の心構えだし、覚悟なんですね。 昨日のゼミでも、「知ると」いうことと、「愛する」ということにおいて大事なのは作為や自己を捨てて「ものの在り様に自己を合わせる」ということが言われてました。(西田幾多郎『善の研究』第四篇第五章「知と愛」参照) 現場を作為的に作り出し、状況を征服しようとするのではなく、生じる現場の状況状況に自己を合わせながら身を処していくということですね。 用意して持って行ったもので現場を毎回通りぬけられるわけがない。用意したものプラス、現場で新たに創造して切り抜けるする覚悟、心構が必要えってことです。 動揺しない人ってのはその辺のことが技術化されているんじゃないですかね。 結局予想外の質問もなく、自己アピールも満足にできたと思うし、和やかに面接は終わりましたとさ。 まったく余計に考えすぎだわ。 これがいわゆる哲学病。。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.11.11 21:11:44
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