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「Life」を求めて

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2008.07.23
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6月末に引越しをした。

引越しの理由は今年一月にアパートに空巣に入られた為。

盗られた物は大した金額ではなかったが、妻の精神的なショックが大きく同じ市内で引越しをしたのだ。

3階建ての2階部分で2LDK家賃は前よりも\1000安く、礼金ナシ駐車場アリ。

新居の裏手は農家の所有する空地になっている。

書斎の6畳間の窓から、目の前に立派な栗の木が見えている。窓際に置いたデスクから手の届きそうなところにまだ緑色の棘を纏った栗の実がいくつも生っていて、秋の訪れが非常に楽しみになる眺めである。

この書斎の窓からの栗の木の存在がこのアパートを決める上での決定打になったのは事実である。

若干駅からは離れたが、集合団地が近いせいか、程よく便利、程よくのどかな立地で、引越してからは何となく気持ちものんびりとしている。結婚し、娘が産まれ、新しい生活が慌しく始まり、
そしてやっとひと段落付き、腰が落ち着いたような実感が今ある。



でも仕事に関しては相変わらずの体たらく。
「社会人になる」とか「仕事をする」とかってことは、言い換えると、「ある立場に立つ」ということで、会社とか、肩書きとか、責任とかを引受けながら人と出会うことになる。

それはまた新しい自分との出会いでもある。

下記は僕の師のエッセイより引用。ボランティアをする際の自覚の話である。
「<個>に出逢った時、こちらもまた<個>として呼び出される。逆に、私が<個>としてでなく、「日本人」として出会う時、相手もまた「ルワンダ人」としてしか見えて来ない」
(『<個>との出逢い-理由なき理由』板橋 勇仁 アフリカ情報通信20号06/11/28発行)

営業の仕事をしていて、やはりまだ「サラリーマン営業」という自覚が抜けない。
当然それなりの表面的で薄っぺらい出会いと時間しか客とは共有できないことになる。
駆け出しの営業マン(ないしは社会人)が、仕事や社会に対しては味わう絶望は、きっとこの<個>を離れた自覚に由来するのだろうな。。
最近は自分のファンになってくれる人も出てきたけれど、客先の玄関を出て、営業車に戻った時に少し気持ちが冷める瞬間はなくならない。

ベテランの営業マンを見ていると確実に組織や会社を背負いつつも、それ以上に<個>の発揮の仕方をよく心得て仕事をしているように見える。そんな人もいる。
そんな営業マンは例外なくお客さんに好かれている。
彼らも、サラリーマンとしての自分に絶望し、組織の体制に絶望し、社会の構造に絶望したことが必ず一度はあるのだろうけれど、
それでも日々目の前のお客さんには元気を与えられるような仕事をしている。
そんな自らの<個>が呼び出される瞬間が楽しくて仕事をしているようにも見える。

ただ、どうしてもビジネスというフィールドで与えられる自覚の背景に納得できていない自分
がいて、まだまだうまく立ち回れていないなと感じている。

では、<個>が呼び出される場所。それはどこなのだろうか?
きっとそれは自分にとって、家庭であり、道場であり、ゼミ室なのだろう。
そこで培った<個>を仕事のフィールドにも持ち込める技術。
例えばそれは、
学生時代に悩まされた弓の練習と試合の関係にもよく似ている。

ビジネスという金儲けのフィールドはなぜか好きになれないし、そこでガツガツやる気もあまりない。
ただ、どんな環境でも<個>が呼び出されるような出会いの技術だとか、自覚の形成だとかには興味がある。
そこを、もう少し追求していきたい
と思う今日この頃。

例えば今のように、書斎で栗の木と向き合うということでも<個>は召喚される。。。

【一日のなかで、もっと<個>が召喚されるような瞬間を増やすには如何したら良いのだろう?】





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Last updated  2008.07.24 00:57:13
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