気まぐれおしゃべり。

2019/08/17(土)23:50

天国からの手紙。

徒然日記(1514)

8月17日(土) 7月上旬、 母方の従姉が亡くなりました。 もう長年、がんが全身に転移していて 抗がん剤で治療しながら、 自宅にいるときには全く普通、 車も運転するので 実家の母親の買い物やら通院やら、 いつも行ってくれていた従姉でした。 私は母方のいとこ軍団の中でいちばん下。 他のいとこは現在皆、還暦周辺の年齢。 亡くなった従姉は、まだ62でした。 両親(私の伯父伯母)はすでになく、 お兄さんも数年前に亡くなっていて、 弟が浜松の市街地に、家族を持って住んでいるので 長いこと一人暮らしでした。 …………… 昨日、この従姉の仏前にお線香をあげたくて、 母親と家に行ってきました。 もう住む人がいなくなった家で、 故人の弟(私の従兄)の奥さんが 待っていて、話をしてくれました。 もう自分は長くないとわかっていたので、 何年か前から終活を進めていたこと。 墓じまいをして永代供養にし、 不要物は全部処分したこと。 今年春が来た時に、 「私はもう冬物は着ることはないから」と、 冬服は全部捨てていたこと。 自分の葬儀にかかわる費用のすべても、 その手配も全部準備済みだったこと。 そして、帰り際、 「これ、お姉さんが自分で用意していたものだから」 と、香典返しのような包みを渡されました。 帰宅して開けてみると、 使いやすそうなタオルとともに、 「お世話になった皆様へ」という手紙が出てきました。 永代供養に自分も入るということ、 これまでの自分の人生は上々だったとういうこと、 そして、これまでお世話になった皆様に、 十分な恩返しができなかったお詫びとお別れだと言って、 ありがとう ごめんなさい さようなら そう締めくくられていました。 全部手書きでした。 いったい何通の手紙を書いたんだろう。 涙が出るのを通り越して、 打ちのめされてしばらく動くことができませんでした。 生涯独身で、 自分のことより人のことを先にする、 人のために生きてきたような従姉でした。 子どもの頃は年が離れすぎていたので 一緒に遊ぶこともなかったけれど、 いちばん小さかった従妹の私を何かと 気にかけてくれていたことは覚えています。 私は、従姉のような生き方を 果たしてすることができるだろうか。 もし自分の余命がわかったときに、 ここまで見事に、 終活をやり切っておくことが できるだろうか。 いろんな思いが頭をよぎるとともに、 実家の母親と漫才のように冗談ばかり言って 笑っていた姿が思い出されます。 どうか、安らかに。 おじさんとおばさんと、兄さんと、 天国で仲良く暮らしてね。 私が実家に一人残した母親の面倒を見てもらって、 本当に本当に、申し訳なかったけど、 本当に本当に、ありがたかった。 ありがとう。 今日は、天国の従姉から手紙を受け取った気持ちで、 心静かに過ごす夜更けにします。

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