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テーマ:徒然日記(22701)
カテゴリ:親のこと
8月13日(土) 実家の母の初盆を迎えました。 永代供養をしてあるので、 11日にお寺でのお施餓鬼に参加したくらいで、 特別なことはしていないのですが、 知人がお花を届けてくれて、 我が家に持ってきてある位牌の隣に、 お供えさせてもらいました。 …………… 亡くなってすぐに 実家の片づけをしているとき、 今年のお正月に母親に届いた年賀状が、 出てきました。 年々年賀状を書くのがしんどくなって、 令和3年を最後に 年賀状は終わりにする旨を お知らせしていたのですが、 長年のおつきあいの方々は、 惜しみながら今年も、 年賀状をくださっていました。 それを眺めて数か月。 母親が亡くなったことを知らせるべきか、 ずっと悩み続けていました。 皆さん遠方にお住まいだし、 知らせたところで余計なお世話ではないのか、 気を遣わせることにならないか。 いろいろ考えました。 私がお会いしたことがある方、 昔話で聞いている方々など、 いろいろ思い出して やっと決断し、 先週末くらいに 葉書を出しました。 …………… 母親は、若い頃は四日市にあった 紡績工場に働きに行き、 その後は東京で家政婦の仕事に呼ばれて 十何年?と働き、 父親との縁談があって帰郷しました。 独身が長かったので、 結婚して私が生まれたのは38歳のとき。 毎年一緒に年賀状を眺めながら、 家政婦時代のお話、 そのお宅の三姉妹さんのお話、 それぞれ結婚されたときには 写真も送られてきて、 想い出話をたくさん聞いたものです。 四日市時代のお友達の方は 飛騨高山の隣町にお住まいで、 もう10年ほど前に高山に旅行したとき、 思い切って電話したらすぐ来てくださって、 50年ぶりの再会を果たして とても喜んでもらったこともあります。 そして昨日、 その高山のお友達から 電話をいただきました。 さみしゅうなりましたなぁと、 電話の向こうは涙声でした。 母親より3つ4つ年上の方なので、 がっかりさせてしまって 申し訳ないですとお詫びをしたら、 そんなことはない、 このまま知らないでいるほうが つらかったと、 よく知らせてくださったと 仰ってくださいました。 今日になって、 東京の電話番号から着信があり、 かけ直すと家政婦をしていたお宅の、 長女さんでした。 東京にいたのはもう60年も前の話なので、 先方はおそらく70代。 本当にとみちゃんには 家族一同お世話になって、 想い出もたくさんありますと、 いろいろなお話をしてくださいました。 迷いに迷って出した葉書、 ちょうどお盆に届いて、 母親の想い出話も出来て、 いい供養になったと、思いたいです。 葬儀やその後のバタバタが落ち着いて、 いろいろ思い返すと 後悔したりすることもあり、 むしろ今のほうが ふと思い出すことが多くなって 訳もなく涙が出ることが多いけど、 これでいい区切りになったのかも しれないです。 ……………… お母さん。 父親にも、きょうだいたちにも、 会えましたか。 きっと、 これ以上一人暮らしは大変だろうと、 皆さんが呼んでくれたんだね。 もう死んだほうが楽だと、 常々こぼしていたことを しっかり聞いていたのかもしれない。 お父さんとお母さんが残してくれた家は、 少しずつ片付けて、 どうにかしてつぶさないで、 使ってくれる人がいないか 一生懸命探しています。 なかなかうまく見つからないけど、 時々通いながら、 なんとか頑張ります。 私の娘たちも、 ときどき「とみばあば」の話をしながら 元気でやっています。 ひ孫の顔までは見せられなかったし、 どうやらまだ当分見せられそうにないけど(笑) あなたの娘はそれなりに お母さんを頑張っています。 安心して、 そちらで楽しく暮らして大丈夫です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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