1分間だけ
もし、お盆の期間に父親に1分間だけ出会えて、会話が出来るとしたら。いろいろ言いたい事はある。「なぜ、俺たちをこんなに早くにおいて逝ったのか」とか。「この10年間、あの世から俺たちのことをどのように思い、見ていたのか」とか。「正直、まだ甘えたいし、教えてほしかったことがたくさんあったのに」とか・・・。でも、何より俺の口から一番最初に発せられる言葉はこれだと思う・・・。「俺を生んでくれてありがとう」どんなことにも、順番は存在する。死ぬのだって順番がある。歳が上の人から死んでいくのが通常の順番であろう。それを父親は間違えた。俺の人生の中で、最高の反面教師である。しかし、早死・早病以外は教師である。父親に今でも、そしてこれからも反抗し続ける唯一の事がある。「お前のように、早死にだけは絶対にしない。順番は守る」こと。このことを反抗し続けるために、俺は生まれてきて、それを実行している。これを守り続けることが、父親への最大の反抗であり、生んでくれたことへの最大の感謝である。細木数子が言っていた。「ご先祖様は物事を頼みを言うべきでない。頼み事は神様。その結果の報告はご先祖様にすること」と。それは、間違っていると俺は思う。早死にして、俺たち兄弟の子育てを放棄した父親には、その分、頼み事を聞く義務がある。だから、俺は頼みごとがあると、神社でなく、墓へ行く。そして頼む。今のところ100%頼み事は受け入れられている。義務は果たしてくれているようだ。頼みごとがすんなり通るから、今までやってこれているのだと思う。こんな経験も、生まれてこなければ実感できないことだ。悲しいことも、嬉しいことも、生きているからこそ出来る最大の魅力だ。その辺のことを含めて、1分間だけ会話が出来るのであれば、「生んでくれてありがとう。俺、親父の分、それ以上に生きるから、よろしく」と伝えるだろう。