小説の部屋

2005/08/09(火)11:16

いなくなった愛犬の話

小説(4)

それは、まだ私がカミサマを信じなかった頃。 ようやく開けた梅雨空から覗く、快晴の日差しを受けて、私は愛犬チロとお散歩に出かけた。 湿気の籠もった空気の中を泳ぐように歩く楽しさ。 チロは私の回りを飛び跳ねるように付いて歩いていた。 もちろん、リードはしていない。 チロはどこかへ行ってしまったり、誰かに危害を加えるような犬ではないことは私が一番よく分かっていた。 一人でいると時々誰かについて行くことはある。 でも、何処に行ってもちゃんと帰ってくる。 付いていった人からは、人懐っこい可愛いワンちゃんですね、とお褒めの言葉を貰っていた。 この日も、なにも不安を感じないで並んで歩いていた。 体は大きくてもまだ子供のチロは、なんにでも興味津々だ。 虫を追いかけ、草むらを嗅ぎ回り、その都度、私の元へと帰ってくる。 どんなに離れていても、チロ!と一声かければ、すぐに飛んで帰ってくるのが嬉しくて、好きなように走らせていた。 しかし、その時だけは、すぐに戻ってくるはずのチロが何故か姿を現さなかった。 時間にして、わずか2~3分くらいしか目を離していないのに。 近くの公園、よく遊ぶ広場、散歩に行くコースを探して回った。 よくチロが遊びに行っている人のうちにも行ってみた。 しかし、何処にもチロの姿は見えなかった。 それから5年が過ぎた。 チロはやっぱり見つからなかった。 私は、数限りない後悔と非難を受けて、精神的に参っていた。 ちょっと繋いでいれば防げた事故、誰もがそう言い、私もそう思った。 もう一度があるなら、次こそは。 いつも、そう思っていた。 チロがいなくなったという事実をようやく認めることが出来てきたある日、その子達を見かけた。 チロだった。 いや、そんなはずはない。 大体、チロならあれからもっと大きくなっているはずなのに、この子はあの時のチロよりも子犬だ。 チロに似た子犬たちを散歩させている婦人に、恐る恐る声を掛けてみた。 可愛い子達ですね。 以前、この子達と似たようなワンちゃんを飼っていたことが有るんですよ。 ひょっとして、この子達の親犬は、迷い犬を拾ったのですか? さりげなく聞いてみたかった。 生きているなら、チロを引き取りたかった。 それがダメなら、この子犬たちの一匹だけでも・・・。 でも、言い出せなかった。 可愛いワンちゃん達ですね。 それだけ言って別れた。 もし、チロが今幸せなら、私は顔を出す資格はない。 もし、チロが今不幸なら、その原因は私に間違いはない。 チロの命綱を放してしまっていた私には、悲しさを噛みしめて生きて行く道しか残されていなかった。 そんな私に、カミサマがかいま見せてくれた希望。 幸せに生きたチロの証。 あの子達は、そうかも知れない。 その思いを胸に抱くことで、チロからの許しを得ることが出来たような気がした。

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