カテゴリ:政治
首里城の火災の実況をテレビで見ていてショックを受けた。言葉が出ない。
2019年10月31日未明に配電盤の漏電が原因で出火し、3階建ての正殿や南殿、北殿など計7棟が焼失した。首里城火災の動画 那覇市消防局提供 首里城の正殿などは日本本土の城閣とは異なり、色彩が鮮やかだった。 南国特有の艶やかさがあった。品位品格の高い華やかさがあった。 わび・さび(侘・寂)を重んじる日本本土の文化とは違う良さがある。 中国文化だけでなく、日本や東南アジアの文化を融合した琉球独特の文化だ。 建築物は赤を基調とした総漆塗りだ。赤い瓦の屋根にはシーサーが鎮座する。 写真はネットから拝借 首里城の歴史と正殿の沿革 琉球王国が誕生したのは1429年だ。 琉球列島を統一して一つの王家(尚氏)が治める独立王国になった。明治時代の廃藩置県で国王が侯爵として東京に移り、王国が消滅するまで約450年続いた。 その時代の政治や外交、文化の中心地としての役割を果たしてきたのが首里城だ。 (明治時代の華族の爵位制度の序列:公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五階) 1429年代は、日本では室町時代(1336~1573)だ。 戦乱が11年も続いた応仁の乱の約50年も前に琉球列島には独立の琉球王国が誕生していた。その琉球王国は戦争のない平和な時代を迎えて、貿易で栄えていた。 中国や日本だけでなく東南アジアとも交易して礼節を守る邦として栄えた。 その象徴として現在も守礼の門がある。 日本本土では応仁の乱後は戦国時代になる。 上杉謙信や武田信玄、織田信長などの戦国大名が群雄割拠する時代になる。農民や町人は戦災の被害を受け続けていた。平和は夢のまた夢の時代だった。 中国は、明朝の第5代皇帝の宣徳帝の時代だった。 その中国は漢の時代より、その時代の朝廷と交易するには冊封(さくほう)を求めた。中国王朝は近隣国を冊封国扱いとし、家臣の礼を求めた。 その見返りに交易を認めた。 室町幕府は貿易で得られる莫大な利益を求めて明朝と朝貢貿易を行った。 勘合貿易という。勘合とは、明朝が発行した交易許可証だ。 勘合の初期は、竹に交易を許可する旨の文字を書き、その竹を二つに割って明朝と冊封国が持つ。交易が成立するには、その二つがぴったり合うことが必要だった。 琉球王国も明朝とは朝貢貿易を行った。 その交易の莫大な利益で琉球王国は豊かで平和な王国になった。 首里城の正殿は15世紀以降、今回を含め、5回も焼失している。 王位争いが原因の焼失が1件、失火が2件、沖縄戦での戦災が1件、配電盤の漏洩1件の計5件だ。 その中で特筆したいのは、太平洋戦争の戦火による首里城の破壊だ。 一言でいうと、日本帝国軍人による国宝の破壊だ。 戦前に復元されていた首里城には正殿を含めて国宝に指定されていた文化財が24もあった。沖縄県は京都や奈良に次いで文化財の多い県であった。 その24もの国宝が米軍の猛攻撃で灰燼に帰した。 そのすべてが掛け替えのない日本全国民の宝だった。 それらの24の国宝を国宝として尊重しない愚劣卑劣な軍国主義者がいた。 日本帝国軍人だ。首里城の地下に壕を掘って司令部壕を作った。 その壕に日本帝国軍第32軍の司令部が陣取った。 首里城の地下30mに南北に貫通する約400mの防空壕だ。その支線は総延長2kmほどだ。1,000人以上の司令部の職業軍人や兵士がいた。 再度言う。その首里城には当時国宝の認定を受けた文化財が24もあった。 その首里城の地下に軍用の防空壕を作った。 壕から出撃してくる日本軍を殲滅するために米軍は徹底的な砲撃を繰り返した。 首里城は草木さえ無くなるほど破壊尽くされた。 そのせいで戦後、首里城の復元には30年の歳月を要した。復元工事が完了したのは2019年1月だ。その喜びと安堵の9ヵ月後には正殿が焼失した。 沖縄県民だけでなく、首里城を愛でた人々の落胆と喪失感は言語に絶するだろう。 首里城の地下に軍の司令部を作った日本帝国軍人どもは許せない。 「死なば国宝もろとも」という考え方は精神異常者のする狂気の沙汰だ。まともな人間の考えることではない。物事の是非や価値判断のできない愚劣な野蛮人だ。 その野蛮人どもには言葉では言い表せないほどの怒りがある。 その日本帝国軍人どもは沖縄県民だけでなく、日本国民にどう説明できるのか。 どのように責任をとれるのか。 日本帝国軍人は国宝を盾に陣地を構築し、負けると逃げ回った卑劣な集団だ。 豪内の全軍人は敗色が濃くなると司令部を放棄して脱出して逃げ回った。 軍司令部は、その逃げまわることや退却を転進と言い換えて国民をだました。 つまり、その軍人集団は首里城の豪内で死力を尽くして戦い全滅したのではない。 (軍司令部は、全滅を玉砕と言い換えて美化し、名誉の戦死と讃えた。) 玉砕をせずに転進した日本帝国軍人は老人婦女子が避難していた防空壕や天然壕を強奪占有した。軍人の命が最優先され、県民の命は軽視された。 その悪魔と化した野蛮な軍人どもは更に転進を続けて最後はもはや逃げ場のない沖縄本島の最南端の摩文仁まで逃げ回り、捕虜になったり、戦死したり、自決した。 司令官もこの地で米軍に降伏を告げずに自決した。 だから、その後も米軍の攻撃は続いて沖縄県民の犠牲者を増やし続けた。 沖縄県民の命を無視した悪魔の心を持った司令官の身勝手で卑怯な自決だった。 何の罪科のない無辜(むこ)の沖縄県民(94,000~150,000人)がその日本帝国軍の戦争の巻き添えで砲弾を浴びて悲惨で無慙な死体と化した。沖縄県で徴兵された軍人以外の一般県民の死亡者数は戦死した帝国軍人の数と同程度かそれ以上だ。 一家全員爆死や全戸籍焼失で正確な実数は不明だ。 民間人は殺され損だ。恩給はない。 日本帝国軍人どもに再度聞く。 何のために首里城の地下に軍の司令部を作ったのか。 現在の右翼集団やネット右翼(ネトウヨ)の輩でも良い。 答えられるなら、答えてみろ! 京都が米軍の爆撃を受けなかった理由は文化財が多かったことと軍事拠点が少なかったことだ。つまり、アメリカは日本の文化を尊重していたし、日本の文化までも破壊する気はなかった。 皇居の戦災被害が少なかったのも同じ理由だ。 なお、日本帝国軍人は軍の機密保持を理由に沖縄県民に集団自決も命令した。 米軍よりも怖い県民殺しの狂気の集団だった。詳細は下段の随想集にある。 首里城公園の所有権が国にあるということは不条理だ。 首里城は歴史的に元来沖縄の所有物だ。その正殿など24を国宝に指定したから、国に所有権があるというのは論理的におかしい。 その24の国宝が戦災で焼失した。それを国費で復元したのだから、国に所有権があるというのは屁理屈だ。理不尽だ。 首里城を米軍の砲弾で草木もなくなるほどに破壊した責任は沖縄県民にはない。 無謀な戦争を起こして首里城を破壊したのは日本政府だ。 アメリカ政府にその責任を求めることは国際的にはありえない。 つまり、戦前の首里城を破壊した全責任は日本政府にある。 だから、国は沖縄県民に平身低頭して謝るのが筋だ。 そして、それを復元して沖縄県に無償で返還するのが信義誠実の原則に適う。 他人の財産に損害を与えた時はその損害賠償の責任を取るのは法治国家の良識だ。 首里城を日本政府が復元して沖縄県に無償で提供するのは理の当然だ。 なのに、国は首里城を破壊した戦争責任を取ってないどころか、首里城を再建した費用を出したという理由で、首里城公園の所有権を主張し、現在その所有権を持っている。法治国家の論理ではない。不条理だ。まるで火事場泥棒の所業だ。 焼けた他家の立派な敷地内に政府が建物を建ててその所有権を主張しているようなものだ。国の権力をかさに着た白昼の居直り強盗の悪行のようなものだ。 今後再建した首里城公園の所有権は完全に沖縄県に移転するのが至当だ。 それが守礼の邦への礼節だ。 首里城正殿などの再建事業は県が主導して行った方が良い。 国費も出すから、今後も所有権は国にあるとの主張は排除しなければならない。 カネの問題ではない。 首里城は歴史的に沖縄の財宝だ。沖縄の誇りであり、心の拠り所だ。沖縄県民のアイデンティティーだ。ウチナーンチュ(沖縄県民)の心の象徴だ。 もし、政府が首里城の所有権を沖縄に移転しないと主張するなら、現在の日本政府には侵略思想が根底にあるということだ。侵略とは国の強盗行為のことだ。 太平洋戦争では他国に侵略戦争を仕掛けて負け、反省して世界に謝罪したが、日本国内の沖縄の宝は侵略して恥じないということだ。恥を恥と知るべきだ。 即ち、政府は沖縄県民に対し贖罪(しょくざい)意識をもって首里城を再建し、その所有権を沖縄県に返還するのは歴史上当然の帰結だ。 首里城を世界遺産に登録したユネスコもそのように望んでいるとみてよい。 首里城正殿の焼失は世界遺産登録の取り消しには当てはまらない。 首里城跡は中国と日本の築城文化の融合した琉球独特の建築様式であるとされ、2000年に世界遺産に登録された。 つまり、首里城跡が世界遺産としての価値が認められている。 正殿の下にある石積みが世界的に珍しい遺構として価値が認められている。 だから、木造建築物が焼失しても世界遺産の登録が取り消されることはない。 世界遺産の登録対象は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」だ。 関連遺産群は9ヵ所ある。御嶽(うたき、聖地、拝所)などだ。 グスクとは、沖縄方言で城のことだ。そのグスクの石垣は曲線が優美だ。 日本本土の城の武骨な石垣とは趣を異にする。 世界遺産に登録された理由の一つだ。 首里城正殿等の再建のための寄付 クレジットカードで決済のできる人は、決済手数料無しで、次の沖縄県那覇市のサイトで簡単に寄付ができる。 すごい勢いで寄付金が増えている。クリックして覗いてください。 首里城焼失のショックの大きさとその再建への願いの大きさがわかる。 (ふるさと納税の制度を活用し、以下のサイトにて寄附金を募集しております。返礼品はございません。寄附金受領証明書の発行、ワンストップ特例制度対応いたします。)とのこと。 焼失後の首里城 関連随想集 沖縄県の相良倫子さん15才が即位礼正殿の儀に参列🌸平和の詩「生きる」の作者🌺沖縄全戦没者追悼式で朗読🌷上皇上皇后作詞作曲の琉歌「歌声の響」の誕生秘話🌻人も犬も「生きる」ことが最も大切🐕 ← トップページへ ボクの頭をなでてワン! 赤い花は山茶花(さざんか)の花 冬中咲き続ける珍種 愛犬の正しい飼い方! 自然流で健康長寿! 獣医のワクチンや薬剤、避妊去勢は無用! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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