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カテゴリ:離婚と家庭内暴力
昨日は、やっとできあがった裁判所の書類を持って、離婚届を区役所に提出してきました。今日は、その流れで市役所へでかけていって、息子の保育園のことや児童福祉関係の説明を受けて、書類をもらってきました。
さあ、いよいよ本格的に母子家庭生活が始まるぞ、って感じです。でも、別居してから離婚が決まるまでの18ヶ月間はなまじ元夫の収入が高いために(たとえ1円の養育費も支払われていなくても離婚が成立していなければ)公共の福祉関係の保護は全く受けられませんでした。別居っていう中途半端な状態は、福祉制度が予定していない「スキマ」状態の存在なんだと初めて知りました。離婚が成立して、自分と息子の立場はとてもクリアに。養育費はもらえるようになったし、福祉制度も受けられるし。こうなると離婚さまさまという感じすらしてきます。 息子は、この4月から自宅から歩いて2~3分の最寄の大きな保育園への転園が決まっています。新しく通う保育園は、私たち兄弟4人全員が通った保育園なのですが、今は希望者が多くていつも順番待ちの人がいる状態。去年は年度途中からだったので入れませんでした。今年は、息子も年少さんになるので、入園人数枠が広がってなんとか入れてもらえることになったわけです。 新年度からの転園なので、気分は新入園です。私立の保育園から市立の保育園への転園ということで、そろえなければならないものもたくさんあります。大変といえば大変ですが、ここがネットオークションの利用のしどころです。すでにいろいろ落札しつつあります。(最低落札価格って状況によっては頭にくるね~。なんなんだ、ありゃ。これについても後で力説したいことがあります。) しかも、ここで突然の告白ですが、私も新年度から学生になることが決まっています。市ヶ谷にある某私立大学の法科大学院に行ことに決めました。 今回の離婚で、私自身いろいろ考えることがありました。暴力がからむ事件なので、早く家から出ていかなくてはと思う一方で、小さい子供を抱えてこれからどうやって生きていくのかとか家の中で起こったいろんな出来事を誰にどうやって説明したらいいのかなどのことに悩み、経済的に自立していない母親の離婚の困難さを身に沁みて感じました。しかも、経済的な問題以上に自分自身が精神的に追い詰められているという問題があったのです。 自分で自分の本心がよくわからなくなっている、自分がそういう状態なのかもしれないと思ったときは本当に不安でたまりませんでした。今になって考えると、今回の離婚で何の時が一番悲しくてつらかったかというと、暴力のある「家」を2歳前の子供を連れて出て行くその瞬間でした。生活の基盤を失うことが悲しくてつらいのか、結婚生活の事実上のおわりが悲しかったのか、あるいは他の原因があるのかはわかりません。でも、単なる感傷とは全く違う、痛烈な悲しさ・つらさがありました。人間は自分が思う「自分の場所」にい続けようとする本能のようなものがあるように思います。今の私になら、暴力がある家にい続ける人の気持もわかります。家を出た直後の、不安で揺れ動く気持もわかります。 幸い私は結婚前に法律事務所に勤めていた関係で、弁護士の先生も何人か知っていましたし(とは言え、よくよくの状態にならなくては相談できるものではありませんでしたが)、帰れる実家もありました。当面の生活費の貯金もありました。でも、世の中にはそういうものが全くなくて悩んでいる人だってきっとたくさんいると思います。目の前にいる人に、言いたくても言えない。家庭内の事情はそうそう他人に話せるものではありません。私も、実家の両親にさえ帰るまで話せませんでした。 そんなことを考えるうち、自分はそういう人の力になれるかもしれないと思いました。(ここにたどりつくまでにまた長い長い悩みがあったのですが、書き疲れてきたので一気に端折ります)もう一度、法律の勉強をしっかりやり直して、自分の人生を一からやり直そうとも思いました。お金だって借金するわけだし、子供のこともあるしで自分の中で納得するシュミレーションができるのにも時間がかかりましたが、でもなんとかなりそうな感じにどうやらなってきました。それで、法科大学院の試験を受けて、拾ってもらったみたいに合格しました。 一体自分はどうするべきか悩んで悩んで悩んだけど、その挙句ついに賽は投げられてしまいました。もう後戻りすることは考えないで、ひたすら粘り強くがんばろうと決心しています。とりあえず、毎朝息子と自分のお弁当を作って保育園へ送っていった後、大学院へ行く。息子のお迎えは実家の母に頼むということにしました。近くの保育園への転園ができて本当にラッキーでした。でなければ、今の保育園は少し遠いので母にお迎えを頼むことはできなかったと思います。 夜6時半まで講義があるので、夜は遅くならざるを得ません。片道2時間かかる通学っていうのもキツそうですが、でも学部生のときには通いながら運動部もやってたんだよなあ。でももう20年近くも前のことなのかあ。。ちょっと弱気になるのを振り払いつつ、これからは朝の時間を大切にして、子供となんとかやっていかなくてはと思います。自分自身の勉強も必死にならなきゃやっていけないと思うのですが、子供のことにも手抜きをしたくないのです。どこでどう折り合いをつけるのか、それが一番難しいことになりそうです。大学院のガイダンスでも「脇目もふらず髪振り乱して一心不乱に勉強しろ」「馬車馬のように勉強しろ」と先生方は連呼していらっしゃいました。うわ。 それにしても、こんな大それたことを考えて実行に移せるのも、多分今回が最後になるんじゃないでしょうか。今回ばかりは、受験に受かったことがラッキーだったのかどうか正直自信はありません。ただ、こんな夢物語のようなことに挑戦できる自分はやはりとても幸福なのだと思っています。 昨日は、東京に行ったついでに神田の古本屋さんで、教科書が安くなってないか物色しました。掘り出し物2冊あり。300円のワゴンの中に入っていました。ほくほく。でも、大物はありませんでした。世の中そう甘くはないみたい。これからは本代をどう捻出するか考えなくては。いろいろ物がたまったので、オークションに出品するかな。 みなさんにもご心配をおかけして本当にすみませんでした。まだまだ心配は続きますが、どうぞよろしくお願いいたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年03月11日 21時14分13秒
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