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2005.06.02
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カテゴリ:カテゴリ未分類
1960年代以前、日本もアメリカも
POPSといえども、その領域は専門的に訓練を受けたプロのものであった。
それを打ち破ったのは、アメリカではバディーホリーだったと思う。
彼の音楽の魅力は、凄まじい歌声でも、唸るような演奏でもなかった。
なにしろ、彼のバンドの「クリケッツ」の母体からして、彼のハイスクールの同級生によって作られた物である。
彼は「偉大なる素人」であった。
しかし、彼の音楽は明らかに、今までのC&Wや、R&Bの踏襲から抜け出ている。
バディーホリーの歌と呼ぶしかない。
踊る為の音楽という匿名性の高いロックンロールから、もっといろんなシチュエーションで聞けるロックへと変貌を遂げた最初のアーティストだと思う。
彼を敬慕したBEATLESが、その市場を拡大していったのは偶然ではない。
ティーンエイジャーのみの市場から、もう少し年齢層の高い大人に購買層を広げたのは、BEATLESだが、その直系の規範はバディーホリーだったと思う。
日本では、50年代のハワイアン、ロカビリーを経て、いわゆるGSにつながるバディーホリーの役割を果たしたのは、加山雄三だと思う。なんか評論調になってって書いてて偉そうで笑えるが、加山雄三は歌謡曲じゃないか?という指摘もありそうだが、要はロックでも歌謡曲でもどうでもよろしい。
要は表現という市場が素人に開くきっかけを作ったのは、日本では加山なのだ
加山は「若大将シリーズ」という媒体を利用して(本人は無意識だが)
「いやぁカッコいいんだよねこれ」と自分で思うものをギターで弾いて、自ら歌った。しかも、彼は金持ちで、自由に色んなアメリカのレコードを聴ける立場にあった。無形の色んな要素が彼のフィルターを通ってみたら、イカシてた。
彼は顔も良かった。プロレスやるのにでかい体が必要なように、60年代のロック市場にはいかす容姿は絶対条件だった。エルトンジョンの生きる道はなかったのだ。
この冒頭の曲はエレキインストだが、本家ベンチャーズを超えている。
加山が歌わないからこそ、永遠の命を得たのだ。
加山もそれをわかってて、90年代にもう一度この曲を録りなおし、今までの自分のインストをくっつけて、歌無しのベスト盤を出した。
今の加山が老いさらばえて、ステージ上でヘマをやっても
彼の功績は変わらない





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最終更新日  2005.06.02 12:48:15
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