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1960年代以前、日本もアメリカも
POPSといえども、その領域は専門的に訓練を受けたプロのものであった。 それを打ち破ったのは、アメリカではバディーホリーだったと思う。 彼の音楽の魅力は、凄まじい歌声でも、唸るような演奏でもなかった。 なにしろ、彼のバンドの「クリケッツ」の母体からして、彼のハイスクールの同級生によって作られた物である。 彼は「偉大なる素人」であった。 しかし、彼の音楽は明らかに、今までのC&Wや、R&Bの踏襲から抜け出ている。 バディーホリーの歌と呼ぶしかない。 踊る為の音楽という匿名性の高いロックンロールから、もっといろんなシチュエーションで聞けるロックへと変貌を遂げた最初のアーティストだと思う。 彼を敬慕したBEATLESが、その市場を拡大していったのは偶然ではない。 ティーンエイジャーのみの市場から、もう少し年齢層の高い大人に購買層を広げたのは、BEATLESだが、その直系の規範はバディーホリーだったと思う。 日本では、50年代のハワイアン、ロカビリーを経て、いわゆるGSにつながるバディーホリーの役割を果たしたのは、加山雄三だと思う。なんか評論調になってって書いてて偉そうで笑えるが、加山雄三は歌謡曲じゃないか?という指摘もありそうだが、要はロックでも歌謡曲でもどうでもよろしい。 要は表現という市場が素人に開くきっかけを作ったのは、日本では加山なのだ 加山は「若大将シリーズ」という媒体を利用して(本人は無意識だが) 「いやぁカッコいいんだよねこれ」と自分で思うものをギターで弾いて、自ら歌った。しかも、彼は金持ちで、自由に色んなアメリカのレコードを聴ける立場にあった。無形の色んな要素が彼のフィルターを通ってみたら、イカシてた。 彼は顔も良かった。プロレスやるのにでかい体が必要なように、60年代のロック市場にはいかす容姿は絶対条件だった。エルトンジョンの生きる道はなかったのだ。 この冒頭の曲はエレキインストだが、本家ベンチャーズを超えている。 加山が歌わないからこそ、永遠の命を得たのだ。 加山もそれをわかってて、90年代にもう一度この曲を録りなおし、今までの自分のインストをくっつけて、歌無しのベスト盤を出した。 今の加山が老いさらばえて、ステージ上でヘマをやっても 彼の功績は変わらない お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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