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愛 こ と ば・心 の 散 歩 路

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2025.03.13
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カテゴリ:ちょっと一言












  

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   ^-^◆ 日本人はジャヤワルナダ氏の名を忘れてはならない


「今考えても、安倍元総理の事件……悔しいなぁ……。
 ホント……時間を元に戻してほしいよ……」

「もうすぐ3年になりますねー。
 突然、あんな理不尽なことが起こって、
 ……怒りは、まだ冷めません。<`ヘ´>」

「まさか……古都奈良で……。
 自分が死ぬなんて、微塵も考えておられなかったはずだ」

「そうですねぇ……、公道での狙撃ですからね。
 ひとつ間違えば、巻き添えになる人だってあったかも……」


  


「うーん(-"-)……。
 ところで今日は海外の国についての話だったかな……」

「ハイ……、よろしくお願いします」

「じゃー…………、(゜_゜>) ああ、そうだ……、
 先ほどの安部元総理と云えば、……2014年の秋に、
 スリランカを訪問されたなぁ。兎に角、積極的に列国を訪問して、
 親交を深めて来られたからなぁ……」

「はい、スリランカ訪問の話は、私もニュースで見た記憶があります」

「そうそう、その際に、
 日本スリランカ・ビジネス・フォーラムでスピーチされたんだよ」

「安倍さんが……ですか?」

「うん、当時の日本の総理としてのスピーチだった。
 ちょっと待てよ、公表されている一文があったはずだ。
 スマホ、スマホ…………(^-^)
 おお、これこれ……これだ。……披露しようかな。
             ・
 『……私は先ほど、
  首都のスリ・ジャヤワルダナ・プラ・コッテを訪問しました。
  コロンボも大変素晴らしい街ですが、私は日本の総理として
  この首都の名前をしっかりと胸に刻まねばならないと、
  考えています。
  皆様よくご存じのとおり、
  1951年のサンフランシスコ講和会議において、
  日本の主権を擁護する演説を行って下さったのは
  当時のジャヤワルダナ・セイロン蔵相でありました。
  今日の日本という”国のかたち”があるのは、
  その演説の大きな後押しを受けてのものです。
   後に大統領となられた、この偉大な政治家の名前を冠した
  スリ・ジャヤワルダナ・プラ・コッテは日本人にとって
  特別なものなのです………………』

 こういうスピーチだ。覚えているか?」


  


「いえ、そこまでは…………。(・。・;
 セイロンは、日本の恩人なんですか?」

「うん、君は若いから知らないと思うが、
 セイロンつまり現在のスリランカはね、
 我が国の恩人なんだよ。
 ……日本は彼の国に救われた……」

「えっ!どういうことなんですか? (゜_゜ )
 阿武さん、詳しく教えて下さいよ」

「さっきの安倍元総理のスピーチにあったジャヤワルダナさんと
 いう名前を知っているかなぁー? 知らんだろうなぁ……」

「……?ハイ、存じません……が……(゜-゜ )」

「スリランカという国のことは少しは知っているよな?」

「ええ、知っていますよ。(^。^)
 インド洋の真珠と言われているインド南東に位置する島国ですよね。
 もう大分前にニューヨークタイムズが
 『世界で最も行ってみたい観光地』の1位に選んで、
 観光客が殺到した国です」

「ほう!やけに詳しいじゃないか。(゜_゜ )」


        4297.jpg


「ええ(^-^)……で、そのジャヤワルダナさんが、
 どうされたんですか?」

「古く……君の父上が子供の頃の話になるが……、
 第二次世界大戦が終わって、スリランカは英国から独立した。
 さっき話したジャヤワルダナという人が、蔵相になられた。
 そして……後には、大統領になられたんだがね……。
 そのジャヤワルダナさんが、スリランカの代表として
 サンフランシスコ講和会議に出席されたわけだ……」

「たしか戦後に開催された、日本対、アメリカなど西側諸国との
 第二次世界大戦の講和会議でしたよね」

「そうそう、若いのによく知っているな。
 サンフランシスコ平和条約が締結されて、
 日本の主権回復が認められたんだから、
 我が国にとって非常に大切な会議なんだ……」

「先ほどの安倍元総理の話に出てきましたね。
 日本からは、どなたが出席されたんでしょう?」

「日本代表は、当時の吉田茂首相だった……」


     4301.jpg


「以前に、祖父からちょっとだけ聞いたんですが、
 会議の実態は講和問題を話し合う会議ではなく、
 調印のための儀式だったような……」

「うん、講和問題を話し合うはずだったが……、
 ソ連が日本の『主権制限案』を提案したり、
 議事進行を妨害するために32人の代表団を送り込んだりで、
 緊張と不安の中に開会されたわけ……」

「へぇー、そんなことがあったんですか? (゜_゜>)」

「まぁ、色々とあったが、最終的には日本の主権が認められて、
 会議は終わったんだけど……。
 その結論に至る過程で、スリランカ代表の、
 ジャヤワルダナ蔵相の演説が沢山の国の代表の心を動かしたんだよ。
 わが国を擁護した演説で、日本の恩人ともいえる方なんだよ……」

「ええっ、そうなんですか?
 そんな大切なこと、私知りません。
 みんなも知っているのかなぁ……。ジャヤワルダナさん…初耳です」

「うん……あまり丁寧に伝達されて来なかったからね……。
 スリランカの国民は教科書などを通じて、
 殆どの人が知っているようだがね……」

「スリランカといえば、小国ですよね。
 大国のソ連なんかが納得したんでしょうか?」

「さすが的確な疑問だな……。
 実は、ソ連、ポーランド、チェコスロヴァキアの三国は、
 会議の結論としての、日本との講和条約である
 サンフランシスコ平和条約に署名しなかったんだよ。
 日本分割占領案を提示していたからね……」


     4298.jpg


「…………!! (ー_ー)
 そんなことなんですか??
 ……それで、どんな演説だったんでしょう?興味あります」

「私も当時は子供で詳しい所までは知らないんだけど、
 ネット等で調べたスピーチの一部によるとね、

   『アジア諸国民が日本は自由でなければならないという
    ことに感心を持っているのはなぜでありましょうか。
    それは日本とのわれわれの長年の関係のためであり、
    そしてまた、アジアの諸国民の中で日本だけが強力で
    自由であり、日本を保護者にして盟友として見上げて
    いた時に、アジア隷従人民が日本に対して抱いていた
    高い尊敬のためであります…………』

 という一節がある……」

「……そういわれれば、
 我が国は世界との交流を始めた明治以降一度も、
 西欧の植民地になったことはありませんね。
 アジアの大半の国は、そうじゃないですもんね……」

「……他の国にとっては不幸な事だが、それが歴史の事実だね。
 スリランカも当時セイロンといっていたが、
 英国の植民地だった……」

「あとは、どんなお話があったんでしょう……?」

「そうだね……、仏陀の教えを示して訴えられたそうだ。

 『……損害に対して我々はその賠償を請求するつもりは
  ありません。何故ならばわれわれは、
  そのメッセージが、アジアの無数の人々の生命を
  高貴ならしめたあの偉大な教師の言葉すなわち
  <憎悪は憎悪によって消え去るものではなくただ愛によって
   のみ消え去るものである>という言葉を
  信ずるからであります。それは偉大なる教師であり仏教の
  創始者である仏陀のメッセージであります』

 と、語られたという……」


      4303.jpg


「……仏教という共通の土壌がアジアにはありましたね……」

「ジャヤワルダナ氏の演説は、
 15分にわたるものだったそうだが、
 会場の反応は言うに及ばず、各国の新聞・雑誌の反応が
 重たいものだったようだね……」

「そうなんですか?でも、賛否両論あったんじゃないですか?」

「この前、調べた範囲だがね、ソルトレイク・トリビューン紙
 は、『この会議最高の歴史的発言』と報じ、
 サンフランシスコ・エグザミナー紙は、
 『世に忘れ去られようとしていた国家間の礼節と寛容を
  声高く説き、鋭い理論でソ連の策略を打ち破った』
 と書いた。
 タイム誌は『ジャヤワルダナ氏こそ、最も才能あふれるアジア
 のスポークスマン』と絶賛している」

「まさに、我が国を救った演説なんですね……」

「時の吉田首相はジャヤワルダナ氏に感謝の手紙を送っている。
 そしてジャヤワルダナ氏は昭和54年に国賓として来日し、
 昭和天皇に謁見されているよ」

「そうだったんですか、報道されたはずですが……知りません
 でした……残念です」

「実はもっと深い話もあってね。明治時代に日本を訪れて
 日本をモデルにして祖国の独立を図ろうとしたセイロン国の
 傑僧ダルマパーラという人がいるんだが……。
 ジャヤワルダナ氏はそのダルマパーラ氏の伝統的親日感情を
 受け継いだんだそうだよ」

「親日家だったわけですね……。有難いことですね」

「さっき話した昭和54年に来日されたときにも、
 日本でこんな演説をされている。

 『私は、以前来日したときに、当時から禅の世界的権威と
  されていた鈴木大拙教授とお会いしたことをよく覚えて
  います。

      4299.jpg

   私は鈴木教授に、日本の方が信仰している大乗仏教と、
  私たちが信仰している小乗仏教はどう違うのかを尋ねました。
  すると教授はこう言いました。
  ”なぜあなたは違いを強調しようとするのでしょうか。
  それよりも、私たちはどちらも仏法僧を護持する事で
  共通しており、無常、苦、無我を悟る為の八正道を
  信奉しているではありませんか……”
  ……私は日本の仏教徒とスリランカの仏教徒を結びつける
  強い絆があることを感じました』

 仏教を通じても日本に親しみを覚え、禅の世界的権威の
 鈴木教授とも交流があり、生涯日本を愛されたんだよ」

「いやー--、今日はありがとうございます。
 知っていなければならないことを教えて頂いて、
 眼からウロコでした……」

「日本を救ったといわれる演説の全文は、ネットで探すことが
 できるから、ぜひ、読んでほしいね。最後に……、
 ジャヤワルダナさんは親日の理由を聞かれたとき、

 『日本は西欧に対してひとり際立った存在だった、
  そして、仏教国だから』

 と答えたといわれている。
 そして1996年11月1日ジャヤワルダナ氏は永眠された。
 彼の遺志に基づき死後の彼の角膜が臓器提供されました。
 片方はスリランカ人に、そしてもう片方は日本人に……」

「うー-ん、凄いことですね。……ありがたいことです。
 我が国の政府はこの恩恵に対して、
 気持ちを示して来たんですね。
 安倍さんの総理時代の訪問もその一環ですね」


     16416 (2).jpg


「そういうことだよね。
 日本はスリランカにとって中国、インド等につぐ、
 有数の経済援助国なんだ」

「素晴らしいことです……」

「そう、2004年12月のスマトラ島沖地震による
 インド洋大津波では緊急支援として80億円の無償資金協力を
 供与するなど災害復興支援も積極的に行ってきた。
 その他、中長期的な支援として、
 約100億円の円借款を供与したり、
 無償資金協力によって完成した施設として、
 スリ・ジャヤワルダナプラ総合病院や、
 スリ・ジャヤワルダナプラ国立看護学校などもある。
 また、コロンボ港再開発事業への支援などが、
 支援プロジェクトとして知られている……」


       4294.jpg


「そうなんですね。そこまでは知りませんでした。
 これからも、両国の友好関係が続いていくと良いですね」

「君たちの時代になっても、この深い恩を忘れずに、
 しっかり良き関係を続けていって欲しいと思うよ。(^-^)」

「はい、今日はとても貴重な話をありがとうございました。
 先日の安倍さんの事件のようにまだまだ課題はありますが、
 わが国が現在のような豊かな国になる過程には、
 国内外、様々な逸話があるんだろうな……と思いました。
 勉強したいと思います。ありがとうございました」

「うん、最後に安倍元総理のご冥福を祈ろう…………」



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最終更新日  2025.03.13 13:29:14
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