(【Kei12】へもどる)
―ニューヨーク工科大学院修士課程への留学を終え、
およそ2年ぶりに日本に帰国した佐々木。
就職活動のさなか、
在米時代の盟友・劉紫微(リウ・ツェン)からの誘いで
帰国後わずか1ヶ月で台湾に渡る。
その日のうちに、雑誌社『アジアンスロット』の
コレスポンダント(通信記者)として働くことが決まった―
台湾に渡って2日。
佐々木は日本に戻ると、さっそくアジアンスロットの仕事を始めた。
基本的には、社から指定された日本でのイベントを取材し、
写真を撮り、英語で原稿を書いて台北本社に送るという流れである。
その原稿の枚数によって、収入が決まる。
イベント会場に行くときの経費は自分もちだ。
要は、フリーランスのライターである。
楽しい仕事だった。
でも、言い知れぬ疑問が、佐々木の中でふくらんでいく。
「・・・これで、いいのか?」
しばらくして、佐々木は一つの決断をし、
台湾のツェイに電話した。
「君には世話になった。でも、申し訳ないけど、
この仕事、やめさせてもらうよ・・・。」
強い罪悪感にさいなまれた佐々木に対して、ツェイは
「そう、また一緒に仕事できるチャンスを期待しているわ。」とだけ言った。
翌日から、また日本国内での就職活動を始めた。
とりあえず、就職雑誌をあさった。
「From A」のようなアルバイト雑誌で
わずかに載っている正社員募集の記事が、佐々木にとって頼みの綱だった。
当たり前であるが、ジャーナリストに類するような仕事はほとんど、ない。
佐々木は、ジャーナリストへの夢を半ばあきらめていた。
仕事をしないわけにはいかない。
たくさんの金を母親にかけさせた。
アメリカでは「サムライ」と呼ばれた自分である。
「この俺が就職できない?ありえねぇだろ」。
佐々木はそんな風に強がっていたものの、
なかなかうまくいかないダメな自分に嫌悪感すら抱いていた。
相変わらず就職雑誌を眺める中、ある募集記事が佐々木の目に飛び込んできた。
「国際留学事業本格化。スタッフ求む。」
「これだ!」
佐々木は思った。
自分の留学経験が活かせる仕事だ。
・・・が、募集している会社は「進学塾」だった。
少々気にかかる佐々木ではあったが、
おそらく「国際留学事業部」は「塾」とはちがうのだろう、
そう思って、面接希望の電話をさっそくかけたのだった。
1994年4月中旬。
就職試験にとおり、佐々木の採用が決まった。
アメリカから帰国して4ヶ月後のことだった。
進学塾での勤務は程なくはじまり、
佐々木は、自分より若い、
それでいて、すでにベテランの雰囲気を持つ職員と出会った。
佐々木の、彼に対する第一印象は
「悪かった」。
後から分かったことだが、
彼も、佐々木に対しての印象は、
「悪かった」。
後の盟友、
小田切直之との出会いであった。
・・・そして、愛夢舎の歴史は始まった。
【SubHistory1 佐々木の渡米・完】
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