2019年1月グアム旅行その3
2019年1月グアム旅行その2は、こちら。最終日の朝も雨だったので、中で食べました。17時のフライトなので、空港到送迎はホテルに2時半。9時半チェックアウトして、荷物を預かってもらい、ベルトラ半日島内観光の集合場所のDFS1階のツアーデスク集合。ホテルからタクシー12ドル。参加費用は、おひとり3,500円。これに乗れる人数で、年配の日本人女性の日本語ガイド付き。なま声ですから、聞き取りにくいかな。まず、パラオ公園です。グアムの自由の女神像は、1950年ニューヨークのボーイスカウトから寄贈されたそうです。次に、アブガン砦に行きました。見晴らしがいい。グアムの歴史をコピペ貼り付けします。マゼランがグアム島を発見した後、1565年スペインのコンキスタドール(征服者)であるミゲル・ロペス・デ・レガスピがグアム島に到達し、スペイ ン国王がグアム島およびその他のマリアナ諸島の領有権を正式に宣言し、333年にも続くスペインの統治時代が始まったのです。1668年スペイン・チャモロ戦争が起きます。スペインはカトリック教に反抗的な全ての村を焼き払い、酋長を厳しい罰を与えました。そして1695年チャモロ人が降伏した時、10万人いたといわれるチャモロ人が5,000人以下に減って しまったのです。1898年スペイン軍によるアメリカ戦艦の沈没をきっかけに米西戦争が勃発しました。スペイン領であったグアム島もアメリカ海軍の砲撃を受け、同年アメリカによって占領されることになります。1941年から、31か月間は、日本統治となります。それから戦争博物館へ行きました。右側のドアが日本軍。左側のドアが米軍。もちろん日本軍から観ます。人がいなくなってから貸切状態で撮影。南京大虐殺記念館のような、やらせがなく、ほっとしました。あそこは、ひどかった。嘘八百。見て、この精悍な人々。説明です。私は、平成2年に子供たちを連れてサイパンに行きました。バンザイ岬でお祈りもさせていただきました。戦記も、しっかり書かれています。こんな道具で戦ったんですね。靖国が魂の拠り所だったんですね。桜のペーパーウエイトは、靖国にある遊就館に売ってます。私も持っています。そして、グアムと言えば、、、ジャングルに潜んでいた日本兵たち。隠れていた日本兵が持っていた、日の丸もありました。この方は、15年ジャングルに隠れていた。で、横井さんは?横井さんって、愛知県出身なんです。名古屋の近く。横井さんは、さらに、12年後の、1972年に発見。27年、ジャングルに潜んでいたのです。「恥ずかしながら、帰って参りました」有名な言葉です。57歳でお見合い結婚、1997年82歳で亡くなりました。奥様は今、89歳。存命です。横井さんの住んでいた、洞窟です。横井さんは、階級が軍曹でしたから、任務意識が高かったようです。ルバングで発見された小野田少尉も同じくです。NHKの反戦プロパガンダに使われる元日本兵は役職も志もない人が、やらせで登場していることが多いので、私たちは、洗脳されないように気をつけねばなりません。日本兵のいでたち。英霊の名誉のために申しますが、現地略奪は一切しませんでした。左側のドアから入る、アメリカ戦争資料館。なんとなく、立派(笑)大空襲の計画書です。名古屋の私の家の近くも、軍事工場があり、2000人の学徒動員が亡くなりました。沖縄だけが戦地ではなかったのです。種類のちがう、原爆も二発、落とされました。でも、日本人は、「1000年の恨み」なんて、ことは言わない民族なのです。暑かったろうなぁ。と、思います。尊い、先人の犠牲の上に、今の日本があることを忘れてはいけないと思います。2019年1月グアム旅行その4に続く。