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カテゴリ:コラム
これを読んでいる人で、私がかつてlivedoor blogでブログを書いていたことを知っている人はいないと思うけど(もし、知っていたら、是非当時のブログのタイトルを教えてほしい。マジでどこで知ったのか、問い詰めるからな)、そこで私はかつて「これからの時代は徹底的にダメになった人を救済出来る存在が必要がある」と書いていた記憶がある。
あの頃の私は就職先が見つからず、落ち込んでいたので、そんな弱さから書いていたのだけど、それから年月が流れて、それを実現させるのは非常に困難であることに気付いた。 今回は、そんな話をしたいと思う。
以前の記事で、発達障害の男・Nについて語ったが、Nは2021年4月に、アカウントを鍵付きにして、同年8月頃にTwitterを退会した。 彼にとって唯一の拠り所だった母親が定年退職して年金生活になったら、もう息子を養えないという理由で、自身が退職する日までに就職出来なかったら、自宅から追い出すと言われたらしいが、それでも彼は解雇を恐れて就職活動をすることが出来ず、生活保護や障害年金で静かに暮らすことを考えていたが、どうやらそれも叶わなかった様で、恐らく彼はホームレスになったと思われる。 私は、これまで彼のツイートを閲覧しては、ちょっかいを出したり、女性差別発言のツイートに対して通報したり、ツッコんだりしては、ブロックされて、その後も別アカウントで話しかけてきたが、結局彼を改心させることは出来なかった。 Nが自宅から追い出される前に、私が「もし、母親から追い出されたら、私の家に来なよ」と誘っていれば、良かったのかもしれないけど、残念ながら私には金銭的にも精神的にも、彼を救うだけの余裕がなかった。 何故なら、彼は無気力系の破滅型。つまり、努力をせず(Nの場合、努力が出来ないといった方が正解かもしれない)、将来の目標を持っていない人だったからである。 彼の様なタイプは誰かが手を差し伸べたところで、完全にその人に依存・寄生してくる。 いくら、重度の発達障害持ちで家事スキルや仕事をする能力が無いとはいえ、そんな人間を一生養い続けるのは真っ平御免であるし、受け入れたところで間違いなく私の心は擦り減ってしまっていたに違いない。 誰かを助けることは、とてもハイリスクなことである。 もちろん、誰かの為に動けるのは良いことだが、相手が手を差し伸べるだけの価値があるかどうか、自分がその人を助けるだけの覚悟があるかどうか必要になってくる。 その辺を十分に理解しておかないと、たとえ相手に悪気が無くても、苦労の連続になってしまい、自分の人生を狂わされてしまう。 Nの様な人間を養うなら、映画『キネマの神様』に登場する円山淑子の様に、「幸せにしてもらおうなんて思ってない。私が幸せにするの」と本気で思える覚悟が無いと、駄目である。 私はNに対して、それだけの覚悟を持つことは出来なかった。 それでも、彼の消息は今でも気になっている。 あくまでネット上の付き合いだったので、もう彼に会いに行くことは出来ないし、手を差し伸べることも出来ないけど、いつかまた会えたなら、せめて雑談くらいはしたいな。
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最終更新日
2022.10.29 21:33:32
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