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カテゴリ:コラム
ある日、X(旧:Twitter)を見ていたら、こんなポストを見かけた。 みんなが社会の役に立てる様に生きて、役に立たないなら自然淘汰されていくのが全体最適な気がします これを受けて、作家・乙武洋匡さんが、以下の引用ポストをした。 「社会の役に立てないなら自然淘汰」 「でも、社会に役に立つって、具体的に何を意味するのだろう」と思った人もいるだろう? 今回は、そんな話について、書きたいと思う。 これはあくまで私の意見だが、社会に役に立つとは、社会に貢献できているか、つまり仕事をしているという意味だと思っている。 しかし、世の中には運悪く、生まれた家庭環境が悪かった、障害や病気を持ってしまった、景気悪化による失業、就職氷河期世代など、努力ではどうにもならない状況になってしまった人もいる。 明日のリベラルをつくる会代表・百瀬海さんも、自身のポストで、 生活保護は本来働きたくても働けない人のための制度だと思います。誰がいつ働けなくなるかなんて予想できません。今は違っても自分もそういう立場に置かれる可能性が大いにあるのです。そう考えたとき、「申し訳なさそうにしてほしい」という言葉を、本当に相手に向かって言えるでしょうか。 さすがに、生活保護を貰えたからと言って、労働者を見下したり、「賭博や推し活で、スッカラカンになっちゃった!」となれば、本末転倒(正直、こういう人達はヘイトを受けても仕方ないと思う)だが、病気や障害、時代の悪さのせいで、一生働けない人がいるのも事実だ。 それに万一、景気悪化や更なる物価高が起きれば、真っ先に弱者が切り捨てられる可能性も出てくるだろう。 生活保護や障害年金に限らず、最初から国の制度や他人に依存・寄生しようという考えは捨てた方が良さそうだ。 特に、次の3つの項目に1つでも当てはまっているなら、要注意。 以下は、あくまで私の考えで、過去にXで同様のポストをしたことがありますが、これが当てはまっていたら、本当に自然淘汰されたり悲惨な末路を迎えたりしても、おかしくないです。
これを読んで、「どうも自分は自然淘汰されても仕方ない人間なのかもしれない」と思った人は、今からでも必死に努力して、克服するしかない。 それすらダメなら、全てを諦めて自然淘汰を受け入れるしかないでしょう。 「世の中に無駄な命はない」「誰もがかけがえのない存在だ」という言葉もありますが、それはあくまで試合で言うところの「参加権は皆が持っている」という意味であって、そこで、ゴール出来るか、活躍することが出来るか、勝利することが出来るか、良い結果を出せるかどうかは、また別の話なんですよね。 とはいえ、人生と言う試合は、強制参加。でも、参加してしまった以上は、勝利(ハッピーエンド)を目指すしかない。 たとえ、社会で言う「普通の幸せ(有名企業に就職、結婚、子作り、マイホームなど)は無理でも、「自分の中での幸せ」は達成した方が良い。 参照記事 障害だから周りに迷惑を掛けても仕方ないと思っている人へ 障害者雇用の話(障害があってもOK≠仕事が出来なくてもOK)
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